はるかむかし、旧石器時代・縄文時代から現代に至るまで、一万有余年の間ここ北斗の地で営まれ続けた人類の歩み 当コーナーでは、こうした「北斗の歴史」について、「遺跡」に焦点をあてて紹介します。第一回となる今回は、北斗の歴史の概略を年表とともにたどります。
今から約260万年前に誕生してから現在まで、人類は地球上あらゆる場所で生活を営み、文化を育んできました。これを「歴史」と呼び、歴史の中でのこされた痕跡のことを「遺跡」とよびます。
現在日本国内でそのありかが知られている遺跡(「埋蔵文化財」とも呼ばれます)の数は約47万か所におよびます。うち北海道に約1万2千か所、そして北斗市には108か所の遺跡があることがわかっています(平成31年3月現在)。
これらの遺跡のうち主なものを抜き出して、時代順に並べたのが次ぺージに挙げた年表です。これをもとに、北斗の歴史を簡単にたどってみましょう。
北斗市で最も古い遺跡は、まちの南西側、矢不来の海岸段丘上に位置する館野2遺跡から出土した約1万5千年前の石器です。この時期は、長く続いた最後の氷河期が終わりをつげ、自然が豊かになるとともに旧石器時代から縄文時代へと移り変わる、ちょうど端境(はざかい)にあたる時代でもありました。
これに続くのは、近年世界遺産への登録をめざし話題になっている縄文時代の遺跡です。これらは北斗市の遺跡で最も多く、90カ所以上見つかっています。さらに、津軽海峡以南での弥生時代〜平安時代にあたる、北海道独特の時代・文化である続縄文時代や擦文時代の遺跡が続きます。これが後のアイヌ文化へとつながりますが、現在の北斗市にもアイヌ語由来の地名が多数残っています。
アイヌの人々が暮らす蝦夷地(北海道)に和人の人々が渡り始めたのは今から約600年前の室町時代になりますが、当時築かれた城が茂別館(国史跡)です。やがて江戸時代に入り、幕末には日本最初の星形の城・松前藩戸切地陣屋跡(国史跡)が築かれ、箱館戦争では台場山遺跡(二股口)が激戦地となりました。
このように、北斗市には古くから連綿と人類の生活の跡=遺跡がとぎれることなくのこされ続けており、中には大きな歴史的意義をもつものも存在します。
次回は、北斗市の遺跡の分布をマップでご紹介するとともに、それらのもつ北斗市ならではの特徴についてさぐります。
(文・表 郷土資料館 時田太一郎)