
はるかむかし、旧石器時代・縄文時代から現代に至るまで、一万有余年の間ここ北斗の地で営まれ続けた人類の歩みー当コーナーでは、こうした北斗の歴史について、「遺跡」に焦点をあてて紹介します。第二回となる今回は、北斗の遺跡のひろがり(分布)をマップで紹介します。
地球上に存在する、人類が生活や文化・歴史を営むなかでのこした「もの」(たてもの・道具など)の痕跡を「遺跡」とよびます。前回は、北斗市に108か所の遺跡(「埋蔵文化財包蔵地」とも呼ばれます)があることがわかっており(平成31年3月現在)、それらの遺跡の時間的なひろがりー古くは約1万5千年前の旧石器時代から、縄文時代・続縄文時代・擦文時代を越え、新しいものでは約150年前・幕末の古戦場跡まで、連綿とのこされていることをご紹介しました。
では、それらの遺跡たちは、北斗市のどの場所にのこされているのでしょうか。それぞれの地点を現在の地図に重ね合わせたのが、次ぺージの遺跡マップです。
北斗市にのこる108の遺跡のうち、最も多くを占めるのは縄文時代の遺跡です。その数は実に90か所以上にのぼりますが、ほとんどが標高30メートル以上の高台の上で見つかっています。具体的な地名で言うと、南は当別・茂辺地から矢不来へと続く海岸段丘の上、さらにこれらの段丘から添山・野崎・文月・向野の裏手に平野部をとりまくように続く一段高い高地の縁辺に沿うように分布しています。反面、標高10メートル以下の平野部では、縄文時代の中でも新しい時期のものか、それ以降に続く続縄文・擦文時代の遺跡が主となります。
これは、縄文時代の前半・約6000年前をピークに、地球が今よりも暖かかった時期があり、海水面が今よりも高く(これを「縄文海進」とよびます)、函館湾の海岸線が今よりもずっと内陸にあったためと考えられます。時代が進むごとに徐々に海水面が下がり、現在の海岸線に近いかたちになったのは今から約3000年前ですが、縄文時代当時、こうした自然環境に合わせ、海に面し見晴らしがよい高台を生活の場として選び続けた結果が、現在の遺跡の位置のひろがり(分布)としてあらわれているといえます。
これらの遺跡から出土した縄文時代の土器・土偶を中心とした特別展を11月10日まで郷土資料館で開催中です。
次回からは、北斗市にのこる代表的な遺跡について、順にご紹介していきます。
(文・表 郷土資料館 時田太一郎)
