野外展示 【馬車・馬橇】

金輪(かなわ)馬車(函館型)
 明治6年(1873)、函館〜森間、室蘭〜札幌間の馬車道が開通、北海道に荷馬車が登場。官営工場では技術習得を兼ねた車の製作を開始、後に独立した職人は全道で車橇(しゃそり)業を経営。明治末、荷馬車の需要は急激に増加。だが昭和30年以降は自動車普及により衰退、40年代にはこれらの職人は自動車整備や他業種へと転換していった。
ゴム輪荷馬車(保道車(ほどうしゃ))
 これは、昭和8年(1933)、札幌に転居した斜里の鍛冶屋・菊池氏がトラックの中古タイヤなどを利用し考案した。この馬車は通称「保道車」と呼ばれ、積載量が大きい、馬の疲労が少ない、道路を破損しない、製作技術・日数を要しないといった利点が多いため、主に農家や運送屋に急速に普及した。タイヤ馬車ともよばれる。
馬橇(ばそり)
 カナ橇(函館型馬橇)函館の職人がロシア型馬橇を改良。渡島・桧山地方全域、根釧地方海岸部に広まる。名前は金具を多用することに由来。用途は広く、農産物や一般荷物のほか、上に箱をつけ人を乗せ、古くは丸太など木材も運んだ。
 ベタ橇の一種。ベタ橇は本州のヨツ橇を改良、大正末〜昭和初期に羊蹄山麓から各地に広まる。
バチバチ橇(バチバチ)
 この橇は「バチ橇」と呼ばれる馬橇二台を組み合わせたものであり、名称もそれに由来する。前橇と後橇からなり、木材の長さに合わせ前後の間隔を自由に調整できるため、積載量が多く、地形の変化に対する適応性も高い。そのため大正時代に考案されてから昭和十年代〜二十年代には全道に普及、樺太や東北地方でも使われた。