比羅夫丸と田村丸 投稿者:T.I. 投稿日:2012/05/22(Tue) 00:36:22 No.183 青函連絡船の第1船と第2船は、「比羅夫丸」と「田村丸」で、スコットランドのダンバートンにあった、William Denny & Brothers Co.という会社で建造されたことは、連絡船ファンの中では有名かと思います。 実は英国人の友人と、日本の鉄道連絡船を調べていて、グラスゴーの図書館に保存されていた両船の仕様書と、ダンバートンの図書館に保存されていた当時の新聞のデジタル写真を送ってもらったので、ちょっと紹介いたします。 まず、これが「仕様書」の表紙です。上の方に手書きで「比羅夫丸」「田村丸」とあり、日本側の契約当事者が「日本鉄道会社」であることが判るかと思います。 1906年10月1日に「日本鉄道会社」が発注。その後「鉄道国有法」により、この会社は政府に買収されて、国鉄になりました(1906年11月1日)。Imperial Government Railways、略してIGRと称したようです。 添付:183.jpg (91KB) Re: 比羅夫丸と田村丸 - 投稿者:T.I. 2012/05/22(Tue) 00:45:40 No.184 こちらが、「比羅夫丸」の進水式の様子を報じる、ダンバートンの地元紙だった「The Lennox Herald」の1907年7月13日号です。1部1ペニーだったようですね。 写真もイラストもない100年前の新聞ですが、「Launch of Japanese Turbine Steamer at Dumbarton(=ダンバートンで日本のタービン汽船が進水)」という見出しの記事があり、「先週の水曜日(つまり1907年7月10日)」にあった比羅夫丸の進水式の模様が詳しく報じられています。 この内容については一部、古川達郎さんの著書「鉄道連絡船100年の航跡」に掲載されていますが、現物はこういう新聞でした。 デジカメで撮影ではなくて、写真コピーしてもらいたかったですが、珍しいかと思いますので、以上、紹介しました。 添付:184.jpg (137KB) Re: 比羅夫丸と田村丸 - 投稿者:山西 元 2012/06/05(Tue) 23:06:13 No.204 相変わらずの造詣の深さに脱帽です・・・。 歴史に「if」はないと言いますが、 郵船が本気で青函航路を考えていれば両船の存在と青函連絡船はどうなったのかと思う時があります。 結果的には戦時の影響で青函連絡船になったような気もしますが、 鉄道事業のために船が必要と考えた事は後世に残る英断だったと思います。 Re: 比羅夫丸と田村丸 - 投稿者:iruka 2012/06/09(Sat) 22:41:34 No.210 T.I.さんのご投稿を機会に比羅夫丸のことをググってみたら、ウィキペディアに詳しく説明されていました。110年以上前に建造された最新鋭のタービンを搭載した三軸スクリュー船で、青函航路を18ノットで航行してたのは興味深いです。当時のイギリス造船技術の高さをうかがい知ることができ、青函航路用に設計した設計者の思いを少し感じることもできました。このような歴史的仕様書が図書館で容易に閲覧できるのはうらやましいです。 |
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