明治元年(1868年)、大野は箱館戦争の舞台となった。明治維新最後の戦いとなったこの戦争は、森町鷲ノ木に上陸した榎本武揚が率いる榎本軍と新政府軍との間で戦闘の火ぶたが切られた。その最初の戦場となったのが、大野平野を中心とする一帯である。意冨比神社に陣を置いていた新政府軍は榎本軍の前にあえなく壊走し、箱館、江差、松前も陥落、榎本軍は蝦夷地を制圧した。
しかし、翌二年、新政府軍は乙部に上陸し、反攻に転じた。この時、榎本軍は、土方歳三の指揮のもとで三百人の兵士が台場山に砲台を築き、濠を掘ってこの辺一帯でゲリラ戦を展開した。十八日間の激闘は、榎本軍が優勢のうちに展開したが、上磯の矢不来での戦いで榎本軍が敗れたため、土方隊は台場山のある二股口を撤退し、五稜郭へと退いた。これが箱館戦争のなかでも有名な激戦となった「二股口の戦い」である。
五月十一日を期して新政府軍は、海陸より箱館を総攻撃した。榎本ら榎本軍は防戦に努めたが、軍艦は損傷し、港内の諸砲台は陥落した。将兵に死傷するものが続出したので、五月十八日、五稜郭を開城し、新政府軍に降伏した。これで蝦夷地は平定され、三百年続いた徳川幕府の歴史も完全に幕を閉じた。
<大野文化財保護研究会>