兄の病気(賞)
大野小高二  釣谷くに


 「もう九時だ、寝ようかなア」と足袋(たひ)を脱いで足をあぶっていると、兄の橇(そり)が山から来た。「今日どうしたことだ、めったに(珍しく)早いなあ」と父の言ってるうちに、いつも三十分位は馬屋の方にいるのに、すぐ来て上がり元に横になって、「ああ腹痛い、つまご(雪わらじ)脱がせろ」と言う声が茶の間に聞えたから、行ってみると、苦しそうにうんうんと稔(うな)るばかりである。私は薬を出して飲ませるのに急いで、水をまかしたり、茶碗(ちゃわん)を落として傷つけたりして叱(しか)られた。部屋に行って見ると、姉は一生懸命に腹をもいでいる。
 少し経(た)つうちに「少し痛くなくなった」と言うて何か話している。お婆(ばあ)さんは心配そうに「どうした、何か悪いものでも食べたのか」と聞くと、「今日、あずき餅食(もちく)った。『食わねあ』てば、『けいけい(食え食え)』と言うから、たった一つ食ったら一里(約四キロメートル)ばかり来て痛(や)んだ。四里痛んで来た」と言い終わると、息を切ってまた捻った。
 見ていると可哀(かわい)そうでならない。それから間もなく、また前よりも多く痛んできた。父は「すぐ病院」と騒いだ。二番目の兄と三番目の兄と行くことにして馬を出した。私も提灯(ちょうちん)を持って行った。親馬が外へ出ると子馬はあばれる。おまけに馬車馬までが騒ぎたてる。
 そのうちに二番目の兄は「家(うち)に行って外套(がいとう)着てくる」と言って、私に馬の手綱(たづな)を持たせたから、馬の嫌いな私は、どうして騒ぐ馬を曳(ひ)いていられよう。それでも兄の来るのを待っていた。馬はだんだん自分の方に寄って来る。おっかないから先へ進めば馬も進む。しまいには雪の中へどぶどぶと入って行った。そこはまた薪(まき)を投げていた所であったから、それに躓(つまず)いて転んだので、提灯は消える、底はとれた。
 「おかなア、おかなア(怖い、怖い)」とどなったが、誰も来てくれないので、馬をそのままにして、提灯を持って来ようと思って、はだしで家に行った。上がり元に行くと、すってんと転んだ。はっと思って起きると、兄は父に叱られていた。「なんだ男のくせに、そったら(そんな)こと言うて元気ない」と言うているが、後は聞くひまがなかった。
 提灯に火をつけるにも急いだので、なかなかつかなかったが、二回も三回もやつて、ようよう(やっと)のことでついた。それを持って行った時は、もう用意は出来ていた。「これで行くどー」と、二人並んで馬を追った。道に出てその後を見ていると、間もなくあかりが見えなくなった。家に入ると、手の冷たいのに気がついた。ひねっても分からないほどであった。
 父は部屋から出て来て「行ったか」と聞いたから、「いつから(とっくに)見えなくなったや」と言うているところへ、弟は息を切りながら来た。「どこさ行って来た」と聞くと、「山千(やません)(屋号)さ行って来たんだ。今、山千の兄(あん)ちゃ達さ」と足をあぶっている。部屋へ行ってみると、また捻っている。すこし経つうちに、ほかの人も来た。庭がすべるのか山千の兄ちゃは、すってんと転んだ。一人来(き)、二人来、しだいに大勢の入が来て元気をつけさせている。
 ブーブーと喇叭(らっば)の音がしたので、「そら来た、火燃せ」とせきたてられる。医者が来て注射をすると痛みはとまった。その晩、先生は十二時過ぎに帰った。後で弟は「気が利いている」と皆の人にほめられた。

大正11年9月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 入選作六編のうち、釣谷さんの「兄の病気」を賞に入れました。同じく入選した人の作品などに比べると、中央語に未熟な点も手伝って、表現が粗っぼくて、がたぴししておりますが、その代わり、全体に荒削りのままのような素朴さと、力強い真実さとがみなぎっているところが身上です。生活事実に特殊な地方色が出ている点で、或いは人間味から人を引きつける作品です。描写の上では、釣谷さんが馬の手綱を持たせられて、雪の中でまどい騒ぐところが一番活写的に躍り動いております。終いの方で、「山千」の屋号の家との関係がわれわれよそ者に分からないために、弟さんが気が利いていると言ってほめられたという意味がくみ取れないのは、偶然の一つの欠点とも言えます。行ったのはお医者さんの家だったのでしょうか。


■ことばの意味
【つまご】爪子(つまご)。雪よけにわらぐつの先端や全体に取りつけたおおい。
【外套(がいとう)】防寒のため、服の上から着る衣類。オーバー。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。

 作品集ページに戻る