ある婆(ばあ)さん(推奨)
大野小尋六   吉田 孫七


 雪がそろそろ(静かに)降り出した寒い晩です。夜中にふと目をさましたら、後は寝苦しくて眠られません。何だかおかしい(変な)気味のわるい晩だと思いながら、だまって目を閉じていると、ずっと遠くの方で「助けでけろでぁ(助けてくれ)」と言っているような「火事だぁ」と言っているような声が聞こえます。私は初め鶏(にわとり)でも鳴いているのだろうと思っていましたが、よく聞くと、たしかに「助けでけろでぁ」と聞こえるので、お祖母(ぱあ)さんを起こすと、「何した(どうした)」と言ったので、「あれ、一木(いちき)(屋号)の田の方で何だかづなっている(怒鴫っている〉と言ったら、「どれ」と言って聞いていましたが、すぐお祖父(じい)さんをゆり起こしました。お祖父さんは耳のところへ手をやって「うむ、一木の田の方だ。與一(よいち)さんば(を)起こせ」と言ったら、お祖母さんが「與一さん、與一さん、大変だ」と言いますと、初め名を呼んだ時はだまっていたが、大変と聞いて、すぐ飛び起きて、お祖父さんと二人、支度をして出て行きました。そのうちに、皆起きてきて、耳に手をやって聞いて「何したのだべな(だろうな)」と言っていましたが、間もなく、何も聞こえなくなりました。
 お祖父さんたちが出て行ってから一時間近くもたった頃(ころ)、がらり戸が開いたので、はっと思って見ると、まっ先にお祖父さんが小さい子供を、わきの下へかかえ、片手に提灯(ちょうちん)を持ち、與一さんは六十(歳)ぐらいの、 髪のばらばらになったおばあさんをおぶって入って来ました。それから大さわぎしてわら火をどんどんたきました。おばあさんは死人のように青く気味わるく、ぐだり(ぐったり)しており、子供は三つぐらいで、とぼけたように私(わたし)らを見ていました。お祖父さんは「おれぁ、外さでだけぁ(外へ出たら)一木の田の方でも、づなっているようだし、 山丁(やまちょう)(屋号)の田の方でもあるようだしけぁ(だから)、どっちだが分がらねくて(どっちか分からなくて)、まず一木の田の方さ行ったけぁ(へ行ったら)、小川の雪の中で、こら、このわらしぁ(子供が)『婆(ばあ)、あがりこ ぁ、めででぁ(あかりが見えたよ)』て、さべっているしけ(しゃべっているから)、すっかり見だけぁ(よく見ると)、下に婆(ぱぱ)倒れであったね(倒れていたんだ)。婆、今死ぬが生きるがも知らねで(知らないで)、さべっているもんだね(しゃべっていたもんだ〉」と言って、鼻汁(はなじる)(鼻水)をすすり上げました。
 そのうち、だんだん夜が明けて来た頃、そのおばあさんも、やっと正気づいてきました。その話によると、八軒家(はちけんや)(稲里(いなさと)の旧地名)の嫁取りに行って、手一ぱい(思い切り)さわいで、酒に酔ったので、その家(うち)でむりにとめようとしたのを、おじいさんに叱(しか)られるからと言って、一升瓶(いっしょうびん)(酒)までもらって来て、もう少しで一木の田だなと思いながら来たら、狐(きつね)にだまされたようになって、どこに行っていいか分からなくなって、うろうろしているうちに、川に落ちて、雪が腰までかかったので、「助けでけろでぁ」と人を呼んでいるうちに何も分からなくなったのだそうです。
大正15年12月号


■ことばの意味
【わら火】わらを燃やした火。燃えやすいので、すぐに温まる。
【嫁取り】嫁を迎えることやその儀式。当時、自宅で行われていた結婚式のこと。


※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。


■綴方選評 鈴木三重吉
 吉田孫七君の「ある婆さん」は、把握の確かな、引き締まった作編である。叙写(じょしゃ)が印象的に絞り出されているために、いちいちの推移が、あたかも掘り刻んだように、わずかなの言葉で、まざまざと陰影(いんえい)的に浮かび躍(おど)っているところを注意されたい。最初に吉田君が人の叫び声を聞いてお祖母さんを起こし、お祖母さんがさらにお祖父さんや興一さんを呼び起こす描写も、あれだけの簡単な表出で、しいんとした夜中の凶悪を予感するうす気味悪い感じが出ている。やがて、がらりと戸が開く、はっと見ると、お祖父さんが子供をかかえ、片手に提灯を持って入って来られる、あとから與一さんが髪を振り乱したお婆さんをおぶって入って来るところも、さも目の前に見るようで、ぞくりとするではないか。特にお祖父さんが二人をすくい上げた手つづきを話す簡単な対話や、お婆さんが正気づいてから話した間接話がまるで現場を見るような印象を刻みつける。すぐれた把握とするどい感受の誇るべく好例であ る。お婆さんが雪の積もった川に落ちて昏倒(こんとう)している、小さな子供が生死の境にいるのも分からないで、おばぁ、明かりが見えた、と回らぬ舌で言いながら、一人たたずんでいる光景は、日常では想像もつかない凄惨(せいさん)さである。第一、酔っぱらいのお婆さんが雪の夜中に小さな子供を歩かせて野中を帰って来るというのが、あまりに乱暴である。人間の生活の一面を記録している意味で、かなりの深刻さをもった作編と言わねばならない。

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