大野小高一   岡本 チヨノ

 母が或日〔あるひ〕かんと袋を背負って来たので「やあ、何背負って来たの」と聞いたら、母は「ないているも、分るべさ」といった。私は「豚ぎあ(かぁ)、ぶうぶうとないているもんだ」と言ったら、妹は「豚ば(を)、かんと袋さ入れて来たんだよね」と言って顔をしかめて見ていた。私は「どこから買って来たの」ときくと、母は「和歌ちゃん家から買って来たさ」と言って裏の方に行った。
 私も行って見ると裏の隅の方の小さな小屋に父と二人で藁〔わら〕などを敷いてくれていた。その小屋は先の豚がはいった小屋で雨が降ると雨もりする寒さ(そ)うな小屋です。父は「食ひ(い)もの腹一ぱいに食せねがさ」と言って一生懸命に片づけている。母は「これから、うんと食せてちょっとの間に、おがらすど」と言ってあった(いた)。私は「さ(そ)ういう所さ(に)入れておいたら寒いべさ」と言ったら母は「なに、この前の戸さてば(には)箱をおくし、藁てば(は)一っぱい敷いてけ(い)るし、なんにも寒くないさ」と言った。
 それから二三日後、大郷寺にお寺まいりに大沼の叔父さんが貞ちゃんと二人で遊びに来ました。その夕方、母は豚に食物をくれるに行って「豚死ぬいんた(みたい)や」と言って来た。行って見ると豚は、ぴったり藁の上に寝転んでおります。私は、もうこの豚は助からないと思っていたら、父は小屋の中にはいって豚の背中を、たたいたり撫でたりしていたら、豚は口から何かたらしてなきもせずに、だまって息をはっはっとやっております。
 私は父や母に「その豚は助からないね、朝まできっと死ぬよ」と言ったら母は「うん、死ぬかもしらねや(しれない)、買ってから二三日よりたつなのに(たってないのに)、たんだ(ただ)七円なげたなあ」と惜しさ(そ)うに言ったすると大沼の叔父さんが、母に「神薬飲ませればよい。神薬持って来い」と言ったので、母は走って家に行った。私も行った。母は夢中になって神薬の壜〔びん〕を見たら少ししかなかった。母は、それを持って大村に行ったが大村の家では、もうしんばりをして寝ていた。母は「しんばり取れ、取れ」とぢ(ど)なっても誰も起きようとはしない。母は板戸をどんどんと踏むと戸がはづれた。母ははいって棚から神薬を茶わんに入れて持って来て父にやった。母は頭をおさへ(え)、大沼の叔父さんと父と二人で口に入れてやった。豚は、ただぶうぶうと二度ないたきりだまっていた。みんな家に来た。「朝まで死なねばいいが」と母は言ふ(う)と、大沼の叔父さんは酒きげんで「いや死なない。決して死なない」と言っている。
 朝起きるや(なり)、すぐに行って見ると、藁の中から、ぶうぶうと頭を出した。わたしは走って来て母に教へ(え)ると、母も走っていった。今は大きくなっています。


■ことばの意味
【かんと袋】麻でできた袋。
【食せねがさ】食べさせなければ。
【おがらす】大きくそだてる。
【しんばり】戸などを固定する棒。



■綴方選評 鈴木三重吉
 岡本さんの「豚」は、構図的によくまとまった、素朴ないい作です。村落生活の或一断面として、ふかく興味が引かれます。人物的にはお母さんが一とう、いきいきと出ています。一たい、豚にのませた神薬といふ(う)のは、どういふ(う)薬なのでせう(しょう)。


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