豚の子
大野小高一 影井 愛
この間の雨の降る日でありました。家にいて編み物をしていると、向こうからがらがら音をたてて馬車がやってきました。私はあまりの音にびっくりして見ていると、だんだんと私の家の方に近づいて来て、隣の綿屋の前に止まりました。綿屋の人が見て「豚つんで来たんだが(のか)」ときくと「うん」と言って馬車追い(馬車引き)は家にはいって行きました。車の上に残された子豚二匹は、雨のためにびっしょりぬれて鳴いていましたが、しばらくたって、馬車追いが出て来て「この馬鹿豚、本当に馬車の中に糞たれて」といって怒りました。私は心の中で、当たり前だ、豚を雨の降るところにだまって(そのままに)おぐもんだもの(おくんだもの)、せつなくて(苦しくて)糞たれだんだべさ(をたれたんだろうよ)と思ってみておりました。
綿屋のお父さんも出て来て「男豚だばいらないんだども(ならいらないのだけど)」といったが、また思い直してか「いい何、またいないばさびし(いないのはさびしい)」といって、馬車を豚小屋の方に引っぱって行きました。馬車追いは糞たれだもんだから怒って一匹の豚の尻尾を引っぱって馬車からおろしました。豚は痛がってきいきい鳴いて豚小屋に入れられました。もう一匹の豚も尻尾をつかんでおろしました。その豚は前のよりもよけい鳴いてあばれました。綿屋の父さんは、「なんぼ(どれだけ)あばれる豚だべ」といってようようのことで小屋に入れました。父さんは馬車を見て「ああすまない、馬車の中に糞たれで。雑倉の中に藁あるから持って来て落としてけないが(くれないか)」といって家の中に入って行きました。馬車追いは一生けんめいになって糞を落としていましたが、行ってしまいました。
私は豚小屋に行って見ると、二匹かたまって、ぐうぐう眠っていました。一匹は鼻に傷がついていました。私は「ああさっき馬車からおろす時、どこかへ引っかけて切ったんだな」と思いました。
■綴方選評 鈴木三重吉
影井さんの「豚の子」は、高等一年にしては、叙写に希薄な点もありますが、ともかく、こういう一つのスケッチとして、よくまとまっています。馬車屋が、ふんをされたので怒って、あらあらしく豚のしっぽをつかんで引きずりおろすので豚があばれるところや綿屋のおじさんが馬車ひきにたいしてすまながって、藁があるから持ってふんを落としてくれという気持ちや、あとで小屋へ行って見ると、さっきあばれていた豚が、二匹でかたまってぐうぐう寝ているさまなどが、何のたくみもなく、しぜんによく出ています。村落的な出来事の一画面として面白い作です。