父の足
大野小高二   高田 うめ


 一週間ばかり前に、父が函館へ青物を売りに行って、帰りがあまりおそいので、家で皆待っていたが来ないので兄たちは明日行く支度にかかった。
 少したつと、馬小屋の中で、残して行った子馬の呼ぶ声がする。今度はきっと来たな、と思って見ていたら、家の馬車であった。子馬は一生懸命に呼んでいる。馬車は家の前まで来たので、姉が家から出て行った。私は御飯の支度をして、湯をわかしていたら、外で姉の呼ぶ声がするので行って見たら、父の足から、黒い血がどろどろ流れて、顔を青くして車の上にすわっている。私は急に寒くなったような気がした。
 姉が「早く兄(あん)ちゃば(にいちゃんを)、呼んで来い」というので、畑に走っていった。兄は、きうり(きゅうり)畑にいて、きうりをもいでいた。私は「兄ちゃ兄ちゃ、早ぐ来てけれど(おくれよ)」といったら、兄はびっくりしたように「何した?」といって来た。父の足のことを知せたら、心配そうに「車にでも上がられだべが(ひかれてしまったのか)、どうしたんだべ」といいながら、車のかづぼう(かじぼう)を下していた。
 兄はちょっとぼんやりして見ていたが、父に「どうしたんだ」といったら、父は何といってよいかわからないようにしてあった(いた)が、頭をかしげて「何もがにも(かにも)、車に上がられて困ってしまった」といった。兄は心配そうにして、車の物を下した。父が家にはいる時、石を三つ拾って、それを炉に焼いて、私に「ここさ(へ)、うんと火たいて湯わかせ」といった。私は「その石何するの」と聞くと、「石ぶがし(石蒸かし)するのだ」といった。それから父に.ぜん(膳)を出すと「飯も何も食てぐねども(食いたくないけれど)」といって、さっと一ぜんより(しか)食べません。
 その内に兄たちが来て、父の怪我したことを聞いた。父はその時、少しの間は黙っていたが「今川越えてからあんまり道に穴があるしけ(あるから)、そこさ(そこへ)敷ぐべと思って、途中から板きれ拾って来て敷ぐね(敷くのに)馬車ば立たせて置いたら、馬蠅うるせあがって(うるさくて)、さっさと来てしまったんだね。馬車の後から前の方さ、つかまって乗るべと思ったきや(たらば)、車穴さ(に)片一方の足落して取る気になっていだ内ね、車渡ってしまって、それでも車さ(に)つかまって乗る気ねなっていだきや(いたら)、又別の足落としてひかれた。それでも馬車さ(に)、乗ってしまった。」といって、父はおかしくなったのか笑っていた。兄たちは心配そうにして、外の方に出ていった。父は焼いた石を湯の中に入れて、そのゆげで足をふかして(むして)いた。夕方になって父は便所に行きたくなったと見えて、杖をついて、ようやく便所まで行った。
大正十五年一月号


■ことばの意味
【青物】野菜や青魚のこと。ここでは、野菜を意味する言葉。
【ぜん】一人分の食器や食べ物を載せる台。お膳(ぜん)



■綴方選評 鈴木三重吉
 高田さんの「父の足」は、村落的生活相の抽出として興味のある作です。
 家の馬車がかえると、厩(うまや)に残された子馬が、一生けんめいお母さん馬をよびたてたりするところなどは、われわれには特に面白いし、石を火で熱して、それを湯の中へ入れて、その湯気で打身のところをむしたりする手療法もいかにも地方的な素朴味があります。
 実写の上では、お父さんが家へはいって、「ここさ、うんと火たいて湯わかせ」といわれるところや、「今川こえでから、あんまり道に穴あるしけ」から以下、足をふまれるいきさつを話される対話のところなどは、おのおのの言葉の声色までがまざまざと浮かびますし、わだちに引かれた過程も目に見えるようです。表出もすべて純朴で、いい気持です。

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