大工さん(推奨)
大野小高二 吉村 きみ
私の家(うち)の近所に、若いとき大工をしたから今でも大工さんと呼ばれている、おかしな人があります(います)。去年のこと、私が水汲(く)みに行くと、井戸にとよ子がいて,米とぎをしながら生米(なまごめ)を食べているので、「とよ子、生米甘(うま)いか」と聞くと、のん気そうに側の丸太に腰を下ろして煙草(たばこ)をぷかぷかやっていた大工さんが、「あんまり生米食(け)ば(食べると)、体さ(に)悪いんだぇ」と言いながら、きせるを丸太に打っていた。すると、とよ子が「なしてげ(どうしてか)と聞くと、「人間が皆煮(みんなに)て食(く)うものを、生でがりがり食うんだもの、胃などに入ってから消化しにくいから、かえって害になるで」と言ったので、今まで少し足(た)りない人とばかり思っていたのが、こんなことを言ったので、ずい分大工さん出来物(できもの)(できた人)だと思って「大工さん、何年生まで学校さ上がったの」と聞くと、「半(はん)年生まで上がったべかな(ろうかな)。ほだほだ(そうだそうだ)、なも(なんにも)上がらなかった」と首をかしげて言った。私どもが笑うと、気にもかけないで、「今ごろ、おれ家(うち)の娘こ、どうしてらべな(どうしているだろうな)」と、また言い出したので、遅くなるのも忘れて、また「大工さんに何人くらい娘が.いるの」と聞いたら、「北海道に一人いるし、内地(本州)に二人ばかりいる。みんなおらに似て、いい女(おな)ごばかりだ」と、さも感心したように、私たちを見上げて言った。また少したってから、「おらだって若い時だけ(には)、村でも一番いい男で、評判ものであったども(けれど)、今だら(だったら)人に使われているから、ハイカラもされない(することができない)から、下がって二番くらいだべな(だろうな)と言ったので、そっと、とよ子に「この大工さん、少しえらいこと言ってみたり、半可臭(はんかくさ)い(ばからしい)こと言う人だね」と言うと、くすくす笑っていた。
しばらくたってから立ち上がった大工さんの歩き方がおかしいので、「なして(どうして)大工さんの歩き方、おかしいんだね」と聞くと「四、五年前から腰を悪くしてから、少しだけおかしくなったんだ」と、腰の辺りをさすっていた。とよ子が「いんでも(道理で)歩き方、悪いと思ったもの」と言うと、「おや、そんなに皆(みんな)に見られるだけわりべか(わるいだろうか)と言いながら、牛小屋の方に行ったので、私どもも家に帰った。
それから二、三日過ぎに、私はいつにもなく、朝早く水汲みに行くと、大工さんが頭をタオルでぎっすり(きっちり)結んで、半てんを着て、赤い脚絆(きゃはん)に草鞋(わらじ)をはいて、大きな箱に腰を下ろして、ぼろぼろ涙をこぼしていた。私は「大工さん、何したの(どうしたの)と聞くと、「内地の娘こ、火事に焼けたって電報来て、早く来てけれ(くれ)ッて来たたって(けれど)、おれにだけ(は)、ぜんこ(お金)もないもんだも」と言って、今度は箱のまわりをぐるぐる回りながら、「困った、困った」と言って歩いている。私は気でも狂ったのではないかと思うと、恐ろしくなって、バケツに水を三分の一も汲まないで、走って家に来ると、母は「なして朝から騒いで歩(ある)ってるんだね」と言って叱(しか)ったので、「したって(だって)」と、わけを言うと、「何、夢でも見て、そうしてるんだべさ(だろう)」と言った。
学校に行く時、どうしたろうと思って見たら、いつもの通りの風(ふう)で、水を汲んで行く姿が、馬屋(うまや)の方に見えた。それから或(ある)日、父が大工さんに「大工さん、年(とし)なんぼ(いくつ)だね」と聞いたら、「湯こさ(ふろに)入って数えてみたら、六十であった」と言ったので、父が「ずい分若い}と言ったら、「したら(それなら)、今度、誰(だれ)か聞いたら四十だというかな」と言ったそうです。
昭和二年五月号
■ことばの意味
【きせる】煙管(きせる)。刻(きざ)みタバコを吸う道具。
【足りない】頭の働きが普通より劣っていること。
【ハイカラ】明治時代の議会で、ハイカラー(丈の高い襟)の服を着用していた洋行帰りの議員たちをハイカラー党と呼んだことから、西洋風を気どること。流行を追ったり、目新しいものを好んだりすること。また、そういう人や、そのさま。おしゃれ。
【脚絆】旅や作業をするとき、足を保護し、動きやすくするためにすねにつける布。はばき。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
大野校の吉村きみさんの「大工さん」は、年級も年級だけれど、叙写(じょしゃ)には一番多く陰影(いんえい)があって、写象(しゃしょう)が多角的に、味わい深く躍出(やくしゅつ)しています。半ば、ふぬけたような廃残(はいざん)な(おちぶれた)あの大工さんの宿命の哀れさが、子供らしい或(ある)ユーモア的な表出の中にしみじみと出ています。半てんを着て赤い脚絆に草鮭をはき、頭をギュッとタオルで結んで、大きな箱に腰をかけて、涙をぽろぽろこぼしていたというところでは、その脚絆の赤い色そのものさえ、涙っぼく悲哀的です。人間の記録の一つとして、深い意味をもった作編です。