母(賞)
大野小高一 大村 いち
今から八年前に、父はどうしたのか家(うち)を出て行ったきり、もう音も便りもありません。母は、父はどうしたのだろうと、毎日心配していたけれど、何の音もない。そうして私と妹と母と三人、さびしく暮らしていた。祖母(ばあ)さんは心配して、父を毎日尋ねて歩きました。
そのうちに一年二年と経ち、私が尋常二年生になった頃(ころ)でした。母は「これほど経っても父が帰らないもの、私はこうしてはいられない」と言って、清川へ嫁に行くことになった。ちょうどその時は本家のお祖母さんの葬式でしたが、母は葬式が済むと、すぐ家へ行って自分のものを出して馬車に積んであった。私はその前から母が行くということがわかっていたのですが、何も知らない妹は馬車の上に上がって「今、函館に行くんだよ、いち子は連れていかないやあ」と言って面白がっている。私は妹を見ながら声をふるわせて「ばかだねえ」と言った。
しばらくすると、母は後ろから「いち子「と呼んだ。私はさびしい声で「はい」と言うと、母は自分のはいていた下駄(げた)や妹のはいた下駄などを沢山もって来て「これをお前にくれるから、その下駄が悪くなったらこの下駄をはけよ」と言って私にくれました。「それからこれもくれるから」と言って私によこした。それは十銭銀貨一枚と湯札(ゆふだ)二枚でした。
それから、母と妹と二人馬車に乗った。私は悲しく思いながら馬車の下で見ていた。母は馬車に乗ってから「いち子、祖母さんの言うことをきくんだよ」と一言(ひとこと)言ったら、馬車はもう歩き出した。私はその馬車が見えなくなるまで見送っていた。
その後は祖母さんに育てられて、今は高等一年にもなったのです。私は何か友達にいじめられても、父母のことを思うと、悲しくなります。
大正13年1月号
■綴方選評 鈴木三重吉
大村さんの「母」(入賞)は、年級のわりに、すべての感受が少し単純すぎているとも言えましょうが、併しちがった(同時に違った〉見方に立って言うと、ともかく、どこまでもしおらしい、純朴そのままの、いい作品です。事実を何のたくみ(たくらみ〉もなく簡単にさっさとかいているのに、非常に悲哀(ひあい)があふれていて、ひとりでにほろりとなってきます。大村さんも、たった一人のおばあさんのお力になって骨身をおしまずお手伝いをなさい。やがて幸福が向かって来ます。
■ことばの意味
【音もない】音さた、音信がないこと。
【十銭銀貨】明治四年(1871)から大正六年(1917)まで発行されました。地銀の急騰で大正九年には銀貨に変わって白銅貨(銅にニッケルを混ぜた硬貨)となり、さらにニッケルやアルミニウムに変わりますが、十銭硬貨は昭和二十八年(1953)まで通用しました。
【湯札】銭湯の入浴券。現在の回数券のようなものです。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。