(推奨)
大野小高一   高田 むめ


 私が一年生の頃、母は脚気(かっけ)にかかりましたが、まだそんなに悪くはならないうち、買い薬ばかり飲んでいました。そのうち子供を産んでから、産脚気(さんかっけ)になって、段々歩けなくなってしまいました。乳も出なくなったので、子供には毎日ミルクばかり飲ませたので、子供は段々と痩(や)せてゆくばかりでした。痩せた子供が泣くと、母はやっと枕元(まくらもと)に手をついて、青く腫れた顔を上げて子供を黙って見ては、また顔を伏せるのでした。
 そのうち七重(ななへ)_(七飯町の旧七重村地区)の病院につれて行くことになりました。誰も看病に行く人がないので、姉をやることになった。姉はその時、たった尋常五年でしたが、学校を休んで行きました。何日か経(た)つと、子供の舌などに沢山(たくさん)の疣(いぼ)が出ました。その疣が真っ白になり、唇などが腫れてしまい、ミルクも飲めなくなりました。父は、いろいろ心配して日毎に顔色が悪くなるばかりです。
 母が病院に行ってから、何か月か経った後(のち)、帰って来ることになったので、迎えに行くと、隣の所で行き会いました。母は戸板(といた)に乗せられ、顔に白い布を掛けていました。くまった(入り乱れた)髪はところどころ、むしったようになって下がっているので、死んだようにも見えました。家の前まで来ると、戸板を下に降ろしました。近所の人達も沢山集まり、私たちも見ていました。それから母を家におぶって来ました。
 ところが、私が今まで癒(なお)って来たのだとばかり思っていたら、悪くて医者から見放されたのだそうです。次の朝になって、大騒ぎをしているので目がさめ、びっくりして跳ね起きました。それから手早く帯をしめて台所に来て見ると、姉が土間(どま)に立って泣いていました。よそに働きに行っていた兄が、昼近くに来て、母に手をかけて泣きました。
 次の日、母を洗って樽に入れる時、姉が仏壇の戸に顔をつけて泣くと、隣の婆さんが「泣くな泣くな、いくら泣いたって死んだものが生きては来ないから」と、涙をぽろぽろとこぼしました。父も目に涙を沢山ためて、今にも泣きそうな顔をしていました。私もそれを見て泣かないでいられません。しかし泣けば恥ずかしいと思って、窓から顔を出して黙っていました。葬式の朝になると、ミルクも飲まれなくなって痩せおとろえていた末の子供も死んで、もう箱に入れられていました。いま思い出しても、その時の悲しさは、どうしていいかわからないほどでした。
大正13年12月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 高一年の高田さんの「母」は、短い描写でもって、いちいちの事態を、ただれつくほど印象強く写しています。これは事実そのものが強烈であるからのみではありません。感銘の把握(はあく)が深く鋭いからです。この二入の死の事実でも、だらだらした記述でかけば、やはり印象の稀薄(きはく)なものになるわけです。「母」は以上の意味で、今度の推奨の中でも一番の傑作です。脚気で病みおとろえておられるお母さんが、痩せ弱った子供の泣く顔を見入っては、すぐにまたがくりと顔を伏せられるあたりの描出(びょうしゅつ)や、子供の舌に出来た疣がはれ上がってミルクが飲めなくなった様子や、お母さんが戸板に乗せられて帰られた時の外貌(がいぼう)の描写や、そのほか姉さんが仏壇の戸に顔をおしつけて、しゃくり泣くところなど、すべてが僅かの短い言葉でもって、焼き印でもおすように、じりじりと根深く目に入ります。うまくかこうとしてでき得たのでなく、自然のままに、よくえぐり掴(つか)んだすぐれた叙述です。最初の一行からすぐにしみじみとくらい悲哀(ひあい)に巻き込まれてしまうではありませんか。


■ことばの意味
【脚気】ビタミンB1の欠乏症。倦怠感・手足のしびれ・むくみなどから始まり、末梢(まっしょう)神経の麻痺(まひ)や心臓衰弱となる。かつて日本では国民病とされた。
【疣(いぼ)】皮膚の一部が円形に盛り上がった角質の小さな塊。
【戸板】雨戸の板。特に人や物をのせて運ぶ場合にいう。
【土間】屋内で床板を張らず、地面のままにした所。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。

 作品集ページに戻る