母のかえり
大野小高一 小林 れん
この間、母(はは)が私に長靴、妹にマントを買って来てくれると言って、隣の人と二人で函館に行った。
夕方、橇(そり)が沢山続いて来たようだから、私が「母(がが)、あの橇さ(に)乗って来ねべが(来ないだろうか)」と言うと、松ちゃは「ほんになあ(本当にね)」と言っているうちに、橇は家(うち)の前を通って行ってしまったら、小さい妹は「あれ、この橇さ(に)乗って来たがど思たけ(乗って来たと思ったけれど)乗って来ねえ」と言ってるうちに、今度は人の足音が聞えてきた。松ちゃは「あれい、母(がが)来たんでねべが(来たのでないだろうか)」と言っていると、裏の戸からすき見をしている人がある(いる)ので、小さい妹は飛び上がって「あれい、母来た」と叫んだら、笑って家に入って来た。私は「母、何番で来た」と聞いたら、母(はは)は「六時の汽車で来た」と言ったので、私は「つる子家(うち)の姉、いっつから来たえ(ずいぶん前に来たよ)」と言うと、母は「姉、また函館から乗って来たもの」と言った。私は「したら母(がが)も函館から乗ればえがったのに(よかったのに)。長靴買ってきたが」と聞くと、母(はは)は「いや、靴買うだけの銭(ぜに・お金)持って行がねもの(持っていかなかったもの)」と言ったので、私は「したらなして(そんならなぜ)靴買ってけるって(買ってくれると)騙(だま)したの」と言うと、母は怒ったように「二十円や三十円持って行ったって、どっちゃも足れだ(どっちにも足りない)。この暮れの買い物するんだもの、どこね(に)そたらね(そんなに)買わいんだ(買えるんだ)」と言ったので、私は黙っていると、母は風呂敷(ふろしき)包みを開いてマントを出して、「こら松ちゃ、着てみろ」と言ってマントをのべた。
妹は笑いながら着ると、少し長かった。私は「どら(どれ)、おら着て見るして(私が着てみるから)よこせ」と言って、取って着てみると丁度(ちょうど)よかったので、妹に「長靴買ってけだら(くれたら)、マントとばぐべあ(交換しよう)」と言うと、妹は「いらねであ、誰(だれ)、ばぐば(いらないよ、誰が交換するものか)」と言ったので、私は「おらさば何も買ってけねで(私には何も買ってくれないで)、松ちゃさばし買って来てけで(松ちゃにばかり買って来てくれて)」と言うと、母は「そら、そのかわり、脚絆(きゃはん)買って来てけだべね(買って来てやっただろう)」と言って、脚絆を出した。私は「こたらもの(こんなもの)、二十銭(せん)か三十銭のもの、松ちゃさば(には)八円も九円もする高(た)げもの(高い物)買ってけで(くれて)」と言うと、母は「やたらね(に)、小言つぐな(文句を言うな)。いつか大野さ(に)行ったら買ってけべね(買ってあげるだろう)」と言ったので、私は泣きたくなって、炬燵(こたつ)の中へ頭を入れてそのまま眠ってしまった。
朝に起きて、また母に言うと、母は「こやかましね(うるさいね)」と言って怒ったので、私は、買って来てくれればそれでもいいと思って、二、三日、黙(だま)っていたが、父が大野に行くというから、買って来てくれればいいなあと思ったが黙っていると、晩(ばん)、父が靴を持って来て、「れん、これはいてみろ」と言ったので、私は立っていくと、父は「これでも言うこと聞かねば(聞かないと)、靴も何もとってしまうぞ」と言ったが、うれしい涙がこぼれた。
大正十四年五月号
■ことばの意味
【母(がが)】子どもが母親を呼ぶときの方言。幼児言葉。
【脚絆(きゃはん)】旅や作業をするとき、足を保護し、動きやすくするため、すねにまとう布。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
小林さんの「母のかえり」は、うちの中で、よくありそうな出来事の一つを活写した、写実的な作品です。小林さんが、靴を買ってもらえなかったのに対比して、妹さんばかりがいいマントを買ってもらったことをぶつぶつ不平がる気持ちがよく出ています。すべての対話が生き動いていて、皆のいちいちの動作や表情までがはっきり浮かんでいます。