帰った兄の話(推奨)
大野小高二   若松 きよ


 この間、兄は函館の停車場(ていしゃば)(駅)へ、連結員に入ったのでした(貨車の連結員として勤めた)。母は「ああ今日は夢見悪い、兄は怪我(けが)しねあべが(けがをしないだろうか)」と言ったり、鴉(からす)が鳴いてくると、「おや鴉鳴き悪いな、兄どうしていたべ(どうしているだろう)」とまた言ったりしていました。私は「夢だっけあ、本当にならねあし(夢は本当にならない)、鴉、毎目鳴いて歩くのは商売だべさ」と言うと、母は「半可臭(はんかくさ)い童(わらし)だなあ_(ばかな子供だなあ)。したら、人死んだ時鳴く鴉、どういんた鳴き方するば(どういう鳴き方する)?」と怒鳴(どな)った。私は負けたくないので「余り人騒(さわ)いで餅持ったり、花持ったりして歩くしけあ(歩くから)、面白(おもしろ)がって餅食いたくて鳴くべさ」と言った。
 その晩、兄は八時の汽車で家(うち)へ来た。母は喜んで「まあよく来た。おら余り夢見悪いしてあ(悪いから)風邪(かぜ)引いて寝ていたがと思って心配していだね(心配していたんだ)」と言いながら、お客さんでも来たように、座布団(さぶとん)を出して来た。兄は「心配するしてあ(するから)、夢見るんだね」と平気でいた。父は「どうだ、郵便配達していた時よりもこわいか(疲れるか)」と言うと、兄は「なあに、楽で楽で、半日出て半日休みだもんだね(休みなんだよ)と言っていた。父は「ああいう商売(仕事)する者は、何でも油断しねでやらねばわがねんだ(油断しないでやらなければいけないんだ)」と言っていた。私は編(あ)み物をしながら、母のいそいそと歩くのを見て、おかしく思っていた。母も「何でも危ねがったら、向こうさでも入るにいいしてあ(違うところにでも入れるから)」と笑っていた。
 暫(しばら)くして兄は「この間、おなご(女の子)身投げ(自殺)したの新聞さ出ねがったが」と聞くと、母は「出てあった(出ていた)」と言うと、兄は「丁度(ちょうど)、おらたち乗って来た列車で、三間ばかり向こうの方に黙(だま)って立って、海の方さ向いて手合わせていて、二間ばかりになったげあ(なったら)、汽車の方さ向いて、何だか喋(しゃべ)ってあったきゃはあ(なにか喋っていたと思ったら)、ばったり座ってしまったもんだね。なんぼ(いくら)叫んでも、汽笛(きてき)鳴らしたって動がねあもんだも(動かないのだもの)、(汽車に轢かれても)まだぴくぴく動いであったであ(動いていたよ)」と言った。
 母は「十五や十六(歳)で、どういんたごとあったか知らねあども(どんなことがあったかは知らないが)、おなごわらし(女の子)で身投げするなんて緑(ろく)たもんでねあ(ろくなものじゃないよ)」と私の顔を見た。兄は「やあ、おなごわらしで、あのくらい度胸(どきょう)いいもの、恐(おそ)らぐねあなあ(きっとほかにはいないな)。(汽車が)通ってしまって、胸まで着物まくれたの掛け直してから、ごったりなったもんだものな(轢かれたあと、自分で着物を直してからぐったりした)」と感心していた。
大正14年7月号


■ことばの意味
【鴉鳴き悪い】カラスが家のそばや屋根の上で鳴くと、不吉なことが起こるとか、人が死ぬといわれる迷信。
【三間ばかり】一間はふつう六尺(約一・八二メートル)で、その三倍ほどの距離。

※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。


■綴方選評 鈴木三重吉
 若松きよさんの「帰った兄の話」は、対話の方言が読みにくいですが、これも叙写(じょしゃ)の点では、簡潔(かんけつ)に引き締めた書き方でもって、人と場面と、空気と気分とを、はっきりと色彩強く描き上げています。鳥の鳴き声について、お母さんと言い合いをする場面の、きよさんの言いぐさには笑わせられます。お父さんやお母さんが、兄さんの職業の危険を気づかって、いろいろ注意される気持ちなどもよく浸(し)み出ています。終(しま)いの方の、少女が轢死(れきし)した話のところなども、簡潔な対話的描写でもって、事実が焼印(やきいん)でも押すようにじりじりと印象的に出ています。お母さんが「女の子で身投げなんかする奴(やつ)は、ろくなものじゃないよ」と言いながら、きよさんの顔を見られるところなども皮内(ひにく)です。
 あの女の子が、汽車に轢かれた瞬間(しゅんかん)に、着物を直して倒れた度胸には全くびっくりさせられます。度胸というよりも、むしろ差恥(しゅうち)の反射作用でしょうけれど。

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