乞食(こじき)
大野小高一 吉田 みつ
或(あり)日、学校から帰ると、父と乞食(こじき)のようなお爺(じい)さんと炉(ろ・いろり)にあたっていた。私は靴を脱いで、家(うち)に上がって、火にあたっていると、お爺さんは私を黙って見ていたが、頭を下げて禿(は)げた頭を火にあぶった。すると母は雑巾(ぞうきん)を絞りながら、「爺(じ)さま、なんぼに(年がいくつに)なるね」と聞くと、お爺さんは「七になる」と言った。母は「七十七が」と言うと、お爺さんは「おお年とってしまって困ったもんだ」と言った。
父は「お前、源三(源三という宿か知人宅)行ってとまったらよがべせ(いいだろう)」と言うと、お爺さんは「年寄り婆(ばば)ねかっていじめられて(婆さんに厳しくされて)食った物身にならね(食べた気がしない)」と言ったので、父と母と私と大笑いした。父は「またおら家(うち)さとまったて(とまっても)、寒くて寒くて寝でもおられね(寝ていられない)」と言うと、お爺さんは「なんぼ寒くても庭の隅でもいいしけとめでけさまへ(庭の隅でもいいからとめてください)」と言った。それからお爺さんは父の後ろで御飯(ごはん)を食べた。母は「爺(じ)さま、お汁(つけ)出すべし(おかわりを出しなさい)」とか、また「御飯出すべし」とか言っていた。
後で茶碗(ちゃわん)を洗っていると、お爺さんは弟に「汝(な)さ、昔話教(おせ)が(お前に昔話を教えるか)」と言うと、弟はいきなり「うん」と返事をした。するとお爺さんは話を始めたので、私も早く茶碗を洗って聞こうかと思って、急いで洗っていると、「はあない(もうおしまい)」と言った。私はせっかく聞こうと思っていた話を聞かれなくなったので、お爺さんに「もう一つ教(おし)えればいい(教えてちょうだい)」と言っても、知らないふりをしているので、寝ようと思って時計を見ると九時であった。
母は立っていって、ござを敷いて「爺(じ)さま、ここさ寝べし(ここに寝ましょう)」と言うと、お爺さんは腰をまげて、小便をする(ため)に外へ出て、また家に入って来て、土間(どま)のところにある大きな風呂敷(ふろしき)を持って来て、ござのところに置いて、解いて、油布(あぶらぎれ)を出すやら切れたたんぜんを出すやらしていた。そして下に何だかぼろぼろに切れた物を敷いて、その上に自分が着ていたシャツを敷いて寝た。母は「爺(じ)さま、寒(さ)びべね(寒いでしょう)」というと、「いや」と言った。それで母も床(とこ)に来た。母は「あの爺(じ)さまさ、布団(ふとん)着せてもいども、虱(しらみ)がいるもんだが(虱がついているから)」と言って寝た。
朝になると、母の声がした。「爺(じ)さま寒(さ)びがったべの(寒かったでしょう)」と言うと、「いや暖(ぬぐ)くて暖くて汗出てら(暖かくて汗が出た)」と言って起きた。夕方学校から帰ると、お爺(じい)さんはいなかったので、母に「爺(じ)さま行ったが」と聞くと、母は「だれあったら爺(じい)、いつまでも置くてな(だれがあんな爺さんをいつまでも置いておくものか)」と言った。
大正十四年五月号
■ことばの意味
【お汁(つけ)】みそしる汁など吸い物の汁。おつゆ。
【土間(どま)】玄関など屋内で床板を張らず、地面のままにした所。
【油布(あぶらぎれ)】機具などを磨くための油のしみこんだ布切れ。
【虱(しらみ)】人や家畜につく吸血性の害虫。日本でも戦後まで蔓延(まんえん)したが、駆除剤によってほぼ根本的に駆除された。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
吉田さんの「乞食」は実写的です。汚ならしい、しかしかわいそうな乞食のおじいさんがよく生き動いていて、人としての運命の哀れさがしみじみと伝わってきます。おじいさんが寝支度をするところなぞは、いかにも哀れです。そのおじいさんに対する、お母さんの撞着(どうちゃく)的な(矛盾した)気持ちもよく出ています。東京なぞではとても、あんな人を家へ入れてとめてくれる人はめったにありません。それにくらべて、こういう村落的な人間愛を貴(とうと)く思います。