乞食(こじき)
大野小高二   吉田 きそ

 或(ある)夕方のこと、私は川端で大根を洗ってゐると、乞食の格好した男が、後ろの家の雑倉(そうぐら)の戸口に立って、何か言ってゐたようでした。すると「おら家で病人、三人も四人もゐるして(から)泊められねえ」という隣の母の声がした。すると男は私の家の方に来た。私は私の家に泊めでくれとゐわねばいいがな(よいなあ)と思いながら、身なりは汚い雨合羽を上に着て、粗末な足袋に、きれかかったわらじをはいて頭に鳥打帽子を横にかぶって右手に米の入った袋を持ち、左手をひっこめた四十八九の人でした。寒そうにして、私の前を通って行ったが酒のにおいがした。
 私は大根を洗って、家に持って行くと雑倉の方で話し声がする。見るとその人は、雑倉の前の土に、膝をついて、何か言ってゐました。私は走って行って見ると「どうか一生の願いですから、泊めてください」と言って、父に願ってゐました。そこへ友だちが来て、「あの人、狡((ず)れ人だして(から)、泊めねばいい」と高声で言いましたが、その人はだまってゐました。父は笑いながら、雑倉を片付けてゐた。その人は「どこでもいいのです。土間の隅でもいいし雑倉でもいいし」と言って、雑倉の中に入った。父は「お客様泊まるんだして(だから)、わがねもなあ(わからないやつだなあ)」と言うと、その人は、「ここでもいいです」と言って、そこにあった藁に荷物をおろし、藁の中に入って行きました。すると父は「生狡(なまず)れほいどだなあ。朝までここさねでろ」と言って、雑倉を出て家に来た。日はもう暮れて薄暗かった。家の人はみな御飯を食べてしばらくした時、戸を開けて入って来た人がある。見ると、さっきの乞食でした。
 乞食は「おかげでぬくくなりました」と言って、何べんも何べんも礼を言った。父は「少しあだせあ(火にあたれよ)」と笑いながら言ったら、乞食は「水一杯御馳走してください」と言った。母は「茶碗やって飲ませろ。あんまり水飲みして(のみたくて)来たんだべね(だろうよ)」と言った。私は茶碗をやると四五杯も飲んで返した。父は「お前、煙草のむが」と聞くと、乞食は、「煙草だら、生まれつきのめねして(のめないから)、のまねども(のまないけれども)酒を飲む病が起こって来るので困ります」と言って、上り元に腰をかけた。「今もさっきの店で、少し飲んだと思ったら、たいした(すごく)酔ってしまって。わけわからねだけ酔ったもんだもの。どこだかへねてゐだっけ。皆かかって追ったくってよごしだして(おっぱらったので)、こんだ少しわかってきた(酔いがさめたきた)。一軒一軒よって泊めでもらうと思ったが、誰一人も泊めでくれなかったんでした」と話した。父は「お前、どこから来たんだね」と言うと「南部からきて、初め大黒舞をやって歩いてあったん(いたの)だが、今は、ただ人の家のかどに立って、頭を下げて何かをもらって歩いてゐるのです」と言って頭を下げた。みんな乞食の方ばかり見てゐた。すると父は「ははあ大黒舞やったことあるんだな。道理でさっき雑倉にゐた時、扇子持って、大黒舞やったもの」と言うと、乞食は頭を上げて、ぼんやりしたような顔をして「やってあったべが(やっていましたでしょうか)、やったおぼえがないがな」と不思議そうにして、「何ていってやったべ」と聞くと、父は「大黒舞はみっさいな。ここの家は繁盛するように、大黒舞と恵比寿舞とやってゐてあったけ」と言うと、皆はどっと笑った。母は「今夜寒いして(から)、上がってここさ寝せの(ここに寝なさい)」と言って草鞋(わらじ)を解いて上げた。
 朝母に起こされて起きて見ると、乞食はもう起きていました。しばらくご飯を食べてしまうと、乞食は、ろばたにあたってゐて父に「住所教えて下さい。これから内地に行って魚取りをして、たくさん取れたら、泊めてもらった礼として、少しでもおくってよこすから」と言うと父は「なあに一晩くらい泊まったって魚なんて」と言うと、乞食は「いや、そういうもんでないです。私は気はすまないから、嘘だと思ったら物はためしです。どうか教えて下さい」と言ったので、父は私に「紙さ書いてやれ」と言った。私は書いてやると、乞食は「有難うございます」と言って取って「さあ、おかげで泊めてもらったし、これから出かけようかな」と言って、荷物をつつみ、何べんも何べんもお礼をした。母は「少し待ちせ。飯(まんま)握ってやるして」と言うと「気の毒だなあ」と言って腰を上り元にかけてまってゐた。母は三つ握ってやると、それを持って出て行った。



■綴方選評 鈴木三重吉
 吉田きえさんの「乞食」は、叙写に陰影が足りないので、平たく、長たらしい感じもしますが、ともかく一人の半馬鹿のような、同時に、ずるく、すれたような乞食とそれに対する、吉田さんの一家の交渉とかはっきりと、よくかけてゐます。お父さんが大黒舞のことを言ってからかわれるところも滑稽ですし、お母さんがしまいには、上へ上げてとめてやり、翌朝、にぎりめしまでめぐんでかえさせえるところも純情的で、懐かしいです。青の乞食が、あとでお礼に魚でも送ると言って、ところを聞いたりするところはくすぐったいですね。どうせおくれもおくりもしないくせに、いっそ、黙って頭を下げて出て行ったらよさそうなものです。しかし、そんな、よけいな、まけおしみを言うところにも、下等な人等の気持ちがよく浮かび出ていておもしろいことは無論です。
※原文のまま掲載しております。

 作品集ページに戻る