まる一のお母さん(推奨)
大野小高二 松原 とよ
まる一(いち)のお母さんが五十位(くらい)の時、寒中に町から来て、氷でてかてか光っているところへ転んで腰をうってから、てんかん病になるようになりました。家(うち)の中を歩くにも杖(つえ)をつきました。そして腰に膏薬(こうやく)をいっぱい貼って、痛そうにしていました。
ある時、まる一のお母さんが私を呼ぶので行ってみると「砂糖買って来てけれ」と言って、十銭(せん)札をのべて「隠して持って来てけれ」と言ったことがありましたが、それは一回や二回でなく、毎日、癖(くせ)のように十銭ずつ買うのでした。その銭(ぜに)は誰(だれ)もいない時、草花を売るとほうまつ(ほまち)をするのです。お母さんは誰も知らないと思っているのですが、お父さんも娘たちも皆知っているのです。ほうまつしたのをお父さんに見つけられて、叱(しか)られてからは、着物のえりを綻(ほころ)ばして(えりの縫目(ぬいめ)をほどいて)、その中に入れていたこともありました。
お母さんは病気がおきると、そこらいっぱいうなりながら廻(まわ)って歩くのです。そうすると、つねちゃんや吉代ちゃんたちは、ぎっすり(ぎっちり)つかんで気をしずめてくれます。お父さんなら、かえって叱ったりして可哀(かわい)そうでした。
ある時は、便所で乱気になって(乱心して)廻って歩くのを、私たちが見て止められないので、家へ行って教えると、つねちゃんが走ってきて、ようよう上げると、もう正気づいて自分の体を黙(だま)って見て、肩のあたりの汚(きたな)いものを手で取っていました。銭湯(せんとう)へ行って(発作(ほっさ)が_)起こったり、道路で起こったりしたこともありました。それが一日に何回もあったので、お父さんは家の人たちに、かもなかもな(かまうな、かまうな)、と言っておりました。そして間隙(かんげき)なく(ひまなく_)お母さんを怒(おこ)ってばかりいるので、お母さんは何も言わず、聞かないふりをしています。外を通る人を見ると、知っても知らなくても「寄って茶飲むべし」と呼んで癖のようでした。その度(たび)にお父さんは「腐(くさ)れ馬鹿(ばか)や、飲ませねくてもいいでぁ、腐れ犬ぁ」と、悪口(あっこう)を言うのでした。
死ぬ前の年あたりは、自分の若い時のことを知らせたり、もろぐ(もうろく)したような話ばかりしてお父さんに叱られ、きせるで手をたたかれたりしました。今、考えて見ると、なんだか、お母さんが、可哀そうになります。
大正14年10月号
■綴方選評 鈴木三重吉
高二の松原さんの「まる一のお母さん」は、かきにくい題材をよくまとめて、実象味(じっしょうみ)多く写し出しています。悲惨(ひさん)な人間生活の一つの記録として、かなり深刻味のある特異な作品です。おあしを着物の襟(えり)へかくしたりして、お砂糖を買ってなめたりするところなぞも、その事例一つで、ほとんどその人の心的生活までの全体がうかび上がって来ます。「ほうまつ」は「ほまち」で、内緒)でくすねてためたお金のこと。「ぎっすり」は「ぎっしり」の意味でしょう。「かもなかもな」は「かまうなかまうな、ほうっておけ」の意味です。お父さんのたったそれだけの言葉で、その人の面目(めんぼく)や、お母さんに対する平生(へいせい)の態度が、すっかり浮かんでくるからふしぎです。お母さんが通る人さえ見れば「入ってお茶を上(おあが)りよ」と言い言いして、お父さんからどなりつけられるところなぞもいかにも情景(じょうけい)が躍如(やくじょ)としていて哀(あわ)れです。「呼んで癖のように」は「いつもくせのように、そう言って呼びかけた」の意味です。「もろぐ」は「もうろく」です。
■ことばの意味
【まる一】屋号のひとつ。○なかに一。
【てんかん病】遺伝や外傷などで起こる脳障害。意識を失ったり無意味な動作を始めたりする発作や、頭痛・吐き気などの発作がみられる。
【膏薬(こうやく)】薬を練り合わせた外用剤。布片などに塗ったものを患部にはりつけて使う。
【ほまち】帆待(ほま)ち。個人的にひそかにたくわえた金。へそくり。
【もうろく】年をとって頭脳や身体のはたらきがおとろえること。老いぼれること。
【きせる】煙管(させる)。刻(きざ)みタバコを吸う道具。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。