身代わりの金(賞)
大野小高二   田島 たき


 私が学校から帰って家(うち)に入ると、何だか、様子がかわっていた。父は草鮭(わらじ)のままで、ふごんで(黙って)下をうつむいて考えこんでいた。私が入ったので、一寸(ちょっと)私の方を見たが、無言でまた下を向いて溜息(ためいき)をついている。靴をぬいで家に上がった。家には祖父と祖母と、父と、父のそばにいる妹のたみと四人、炉を取りまいて、皆心配そうな顔をしている。妹は、誰も物を言わないので、祖父の顔を見たり、父の顔を見たり、きょろきょろしている。
 祖母は私を見て、「たきや、たきや。大変なことしたどよ。お父(とっ)ちゃ、銭ぐりっと(お金を全部)落としたどよ」と言った。私はだまって祖母の顔を見て考えた。ぐりっとて、何ぼだべと思うと、「あ、今日は一日(ついたち)だ、給料をみんな落としたのだなあ」と思ったが、だまっていた。父は溜息を何度となくしていたが、じっとしていることが出来なくなったのか家を出て、どこかへ行った。もう夕飯も近づき、雑倉(くら)にいて稲こきをしていた母も来た。汁鍋(しるなべ)をかけて、皆炉を取りまいて、父の帰りを待っていた。すると間もなく父も来た。
 家の人は皆心配にふけり、母は「今年はどうして運の悪い年だべ。春は盗みに遭い、あの位のとねこは死ぬし、また百円余りの金を落とし、何という年だろう」と言う。父は「ああ馬鹿(ばか)くさい、馬鹿くさい。四十年も経つたども、こんな馬鹿くさい目に遭ったことはない。たしか隠しさ入れたんだやな。こら、こうして、ここさ入れたんだね」と、入れる真似(まね)をしている。今年四つになる妹は、父母の心配話を聞いたのか、「お父ちゃ、銭(ぜん)こ、おらける(私があける)。おらねだきゃ(私になら)赤だら(銅銭貨)一(いっ)ぱいあるし、財布もけるし、何かしたらいがべさ(どうにかしたらいいでしょう)」と言った。
 そう言えば言うほど、父は重ねての溜息をつき、「な、たみ。たみの長靴買ってきてける気になって辛抱していだきゃ(いたら)、たんだ馬鹿見た」と青ざめた顔でたみを見ている。母は「それでも怪我(けが)したより良いと、あきらめないばないなあ」と言っている。祖父は頑固な声で、「どうしてなあ、仕方ない。落としたものあ出るもんでもないんだし」と皆を元気にさせた。母は「おら、神様さ行って聞いてくるやあ」と言って立って行った。私らは、神様が何て言うだろう、もしあの金が手に戻ると言うのだろうかと、もじもじしながら待っていたら、やがて帰って来た。
 みんな「何て言った」と言ったら、母は「あの金は手に戻らない金だど。隠しさ入れたと思っても入らなかったど。そして三十前の人の手さ入ったど。あれや、お父ちゃの身代わりに行った金だど」と言った。みんなは安心したらしく、父も夕飯を済ませて函館に行く仕度をした。行く時、祖母は「気をつけて働け、怪我しないように」と、子供にでも言いつけるように言ってやった。
大正13年6月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 田島さんの「身代わりの金」は、ああした際のみんなの気分をよく写し出しています。身代わりの金という意味が一寸人に分からないかも知れませんが、つまりあのお金を落とさなかったら、その代わりには、何か大怪我でもするようなことが出来わいたのである。お金を落としたのでそういう災難ものがれたのだという意味です。うまいことを言ったものです。そう考えでもしないと、諦めにくいでしょう。小さい妹さんがお父さまを慰(なくさ)めて「銭こ、おらける」(銭こ私があげる)というところは可愛らしくホロリとします。お母さんが神様に聞いて来ると行って出て行かれるところなぞも、短い叙写(じょしゃ)ながら、そのときの動作や表情までが躍り動いていて、しみじみ気の毒な気がします。


■ことばの意味
【草鮭】わらで編んだ履き物。
【雑倉】雑蔵(ぞうくら)のこと。雑物を入れたり、作業などをする蔵。
【汁鍋】みそ汁の鍋。
【とねこ】当年仔(とうねこ)。その年に生まれた仔馬。
【隠し】ポケット。

※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。

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