右の手
大野小高二 川口 良子
私は二つの時、はって行って熱い湯の中へ右手を入れて火傷(やけど)をしたので、すぐ医者にかかったそうですが、下手(へた)したものか、とうとう右の手が曲がってしまいました。それが手が痛いので曲げていたのを、そのまま包帯しているうち、皮がついてとうとう曲がったのだそうです。小さい時にはそう気にも掛けませんでしたが、今は手が伸びるに従って中の皮が縮まっていくのです。
尋常(じんじょう)五年の体操の時、先生が「どうして手を上げない。こうして上げれ」と教えておりました。その時、私は自分の手の曲がっているのも気づかず、自分も他人と同じように(真っ)直(す)ぐに上げているものだと思っておりました。その時、先生は教壇の上から、「こら、どうして手をすっかり伸ばさない、どしかッ」と、どなった。はっと思って自分の手を見れば、悲しいことに自分の手は曲がっているのであった。私は悲しくて悲しくて、それから二、三日は何を聞かれても、自分は覚えて(わかって)いながら手を上げなかった。
高等科に入ってからも、私の手の曲がっているのを知らない人は、珍しそうに聞く人もあり、また何か伝染する病のように思って隔てる(避ける)人もありました。私は知らぬふりをして遊んでいたが、手毬(てまり)をつく時など、人がたくさんたかれば(集まれば)恥ずかしいような気がして顔がほてって(熱くなって)いるのです。凝念(ぎょうねん)の時、先生が右手を上げれとか、左手を上げれとか言いますが、その時も私は恥ずかしくて恥ずかしくて、そっと低く上げておりました。左の手を上げれば何も言われない(けれど)、恥ずかしさと悲しみが湧いて来るのです。
そのうちに後ろの方で笑うような声がしました。私は自分の手を笑っているかと思って、ぎっしり手を握ってしまいました。暫(しばら)くするうちに、男生(だんせい)が私の手に気がついたものか、隣へつつき、向こうへつつきして、私の手を見てくすくす笑っているのでした。私は手を下ろせば先生に叱(しか)られるし、上げれば笑われるしと思って、手を上げたり下げたりしておりました。その間も絶えず先生に叱られはしないかと、はかはか(はらはら)しておりました。いいあんばい(具合)に見つけられず、それですみました。
大正十一年十月号
■ことばの意味
【下手した】失敗した。うまくいかなかった。
【どし】癩(らい)病(ハンセン病)を差別的に呼んだ方言。慢性細菌感染症だが、感染力は弱く、潜伏期間が長いため、かつては遺伝性と誤解された。主に末梢(まっしょう)神経が冒され、知覚麻痺(まひ)・神経痛や皮膚(ひふ)症状のほか、脱毛、顔面や手指の変形などもみられる。国の隔離政策によって、ハンセン病は伝染力が強いという間違った考えが広まり、偏見を大きくしたといわれ、経済的被害や人権上の制限・差別を受けた。近年は有効な化学療法剤がある。
【凝念】木村文助校長時代の大野小学校が、集中力を高めるため、教育の一環として全校児童で取り組んだ瞑(めい)想するようにじっと考える時間。
【男生】男子生徒。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
大野小学校から送られた作品は、いずれも揃っていて、いいものでした。 川口さんの「右の手」は、女の子としてきまりを悪がる心持ちが哀れなほどよく写されています。ほかの子たちが伝染でもするように、虐げたりするのはあんまりですね。しかし川口さんも、そういつまでも恥ずかしがったところで仕方がありません。全然平気になっておしまいなさい。