「赤い鳥」主幹     鈴木三重吉先生序
東京高等師範付属小学校 田中豊太郎先生序
北海道大野小学校校長  木村 文助 編著
高二女


 テーブルにもたれて宿題の算術をおいて居ると、玄関の戸ががらりとあいた。おや誰だろうとみると父は一人のお客を連れてのこのこと台所の方へ来た。私の胸ははっとした。又何時もの様におこられるだろうと思えば、一分間でも父の傍にはいられないような気がして大急ぎで道具を片付けて奥へ行った。
 いつも提灯をつけてとる床も、今晩だけは暗がりを手探りで敷いた。何事もなくてくれれぱよいと心に祈りながら、小さく縮まって寝た。二分三分五分と次第に時間は過ぎた、十分位もたった頃「とみーとみー」と父の叫ぶ声に、胸がどきどきして返事もしないで、むっくり床の上に座った。「とみ寝ていた者でも起きて仕事しているのにお前どうして寝た。早く起きて切り鳥賊せ」といった。「はい」と云いながら大急ぎで前掛をあてて台所へ来た。父は蜜柑箱の少し大きいのに鳥賊を一杯(沢山)買って来たのであった。客は帰って母と姉が、烏賊の腹などを取って拵えていた。私はまだ一度も拵らいた事がないので、どこからどうして切るのだか分らない。それでも、板の前に座った。私に当った包丁は一番切れないので、ぎゅうぎゅうと曲がる。母は「そん手付き切れるもんか、井戸へ行って水汲んで来い」といった。
 私は井戸へ行ってつるべを上げながらも、自分の悲しい身の上が思われて涙が出た。水を汲んで来た時、父は烏賊の刺身で御飯を食べていた。「とみ、飯盛れ」と私に茶碗を出した。私は御飯を盛って父の手を出しているのに気が付かず、御膳の上に置いた。父は怒って「なぜ手を出しているのに此処へ置いた」という。私は何も気付かずに置いたのだから、何とも答えようがなくて黙っていた。父は「耳ないのかッ」と爐の火箸を掴んだ。私は胸が一っぱいで何もいわれない、漸(やっ)と「気が付かなかったから許して下さい」と之だけいった。気が付かずにした事を、こんなにいわれるとは情無い。何時もこうして少しの事で叱られる。雪降に家の前の雲の中へ裸で投げ込まれた事、妹の事で学校の方まで追われてたたかれた事、色々の事が思い出されてひとりでに涙が出る。台所の隅に行って涙をそっとぬぐいました。父の叱るのを母(継母)は止めてもくれず「あんまり意気地が無いだもの、よその子供ならちゃかちゃか(さっさ)と働くのに」という。私は其所にはいられない様な穴でもあったら入りたい様な気がした。黙って隅の方に立っていると父は「どうして其所に立っているんだ。仕事すれと起したのに仕事も仕ないで生狡(なまづ)れ奴だ」といった。私は涙をためながら俎板の前に座って、なれない仕事をしていた。姉や母を見るとすっすっと上手に拵えている。私ばかりはどうしてこうだろうと恩いながら、一生懸命に拵えた。みんな拵えた時は十時頃でした。
 三つの時別れた母は去年死にました。どうして可愛い子供を五人もおいて、他家へ行ったのでしょう、それには何か深いわけがあるでしょう。それでも母の死顔でも見たかった。三つの時別れてから七つの時、一度逢った事があります。其時母は私の手を取って「私はお前の親でもない、子でもない」とまでいったのですもの、色々の事を思っているとからだがふらふらするようでした。気が付くと自分は部屋の入口へ黙って立っているのでした。寒さに気が付いて床にもぐると実母の顔が目の前に見える様で、涙が尚も出るのです。いつでもこうして叱られるのを思えぱ、友達が羨ましくてなりません。一度だってやさしい言葉で物をいわれた事は無い。友達はいつもやさしい言葉で父母から愛されているだろうが、私は父母の真のやさしい言葉を聞いた事がない。中でも父の方は頑固であるから、兄も弟妹も皆怖がっている。私はなるたけひねくれまいと思つているけれども、こういう家庭に育った私は、自然にひねくれるのです。私はいつも寝床へ入れば泣くのです。心で泣いているのです、心で泣けぱ自然に涙が出るのです。こう云う時には床の中へもぐり込んで泣くのです。



 旧仮名遺いを新にした。ゐ→い へ→え やう→よう は→わ ひ→い
 旧漢字も一部新漢字にした






 私はこの綴方を涙なしに読む事は出来ませんでした。「私はいつも寝床へ入れぱ泣くのです、心で泣いているのです。心で泣けば自然に涙が出るのです」何というすばらしい直截な表現でしょう。私は何と言って慰めてよいか判りません。皆違った世界に居るのです。各々が自分の城を堅く守って一歩も他を見る事がないからです。お互いの共通点同情心がないからです。私は此の作者がひねくれていないとは言いません。大人は只夫のみを攻めるでしょう。然し作者もそれを自認しているのです。だが其ひねくれるに至った経路には十分同情に値するものがないでしょうか、非難する大人でさえも此位置に置かれたならば、果たしてひねくれずに居られるでしょうか。私はあらゆる大人達に自分の気分に任せ、気まぐれに純な子供の心を傷け、永久の不具とならせない事を切に祈ります。
 又作者に、「あなたの純真な告白に打たれない人はありません。無理もないと思います。然しそれはあなたとしてどうする事も出来ない、運命とあきらめるより外ないのです、諦めた上で、更にあなたの父や母を愛してあげて下さい。夫が人としての、誰でもの、正しく進む方向で、又あなたを窮地から救う唯一の道なのです。
 私は此文につき或雑誌に次の様にかきました。
 「涙」という一文を読んだ時自分は思わず躍り上った。此数年来尋ね尋ねて尋ねあぐんだものを今見付けた気がした。そして微かながら、其慮からの光が自分の行路を照らしている如く感じた。
 勿論此文は精神態度が立派だとはいえない事は、かの(同誌中)不具児の文と同じである。けれど夫は暫く許さなければならない。彼は今本当の自己を見る道程にある。道程に上った許りのものを余りりに攻めてはならない。夫よりも真実真剣な心の叫びによって何を求めているかに耳傾けなけれぱならぬ。此立て直された態度は、やがて自己を教育して堅実な人格を築くであろう事を、信ぜねばならぬのである。
 次の時間に之を取扱った当時の光景は今でもありありと目に浮かぶ。自分は此作者を賞賛した。一見不良少女と見える−−常に虐げられ通しで表面服従しつつ内心反攻を以て漸く自己を生かして来た成績も佳良でなし今迄賞められた経験のない−ー彼女は耳疑う如く瞳目していたが、やがて明かに感激の色が動いた。「傑作である。然し皆の前で読むか。(甲は本人が望まぬ時は別だが大低読む事になっていた〉好まぬなら強いて読まんでもよい」といった。然し彼は意外にも「読みます」といい出したのである。
 読者は或は此場合の教師の態度を難ずるであろう。あんな人を呪う詞を児童の前で読ますとは、と。然し児童は或地位を有し心の掛引で動く大人ではない。心と心の許しあった(と信じていた)子供同志と教師の間に遠慮は無用であると信じたからである。毛頭悪い影を心に投げないと信じたからである。否水火尚弁せざる彼女の真摯熱烈な態度が寧ろ好き影響を残すであろう事を信じたからである。
 読んだ結果はどうであったか、読むこと半にして声は震え目に涙が輝いた。一同頭を上げるものはない。進むに連れて歔欷鳴咽!自分は手を挙げて制した−ー読む事を止めてもよい−−然し彼は夫でも最後迄読む事を決してやめ様とはしなかった。之を聞いた子供は文とはこうしたものか、生活に立脚せねぱならぬものかと自己の体験の如く感じた。
 子供の目はこうして精神的に開けて行つた。目が開けたという事は又書く手が開けた事でもあった。然し先にもいった如くこうした惨苦な暗黒な人生を明るい子供に見せすぎた自分を難ずる人があるかも知れない。此非難の意味は自分にも分らぬ事はない。然し明るいとは何だ?暗いとは何だ?余りに大間題である・・・。



評は木村文助
瞳目は瞠目か  せう→しょう

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