にはとり
大野小高一   高田 ミセ

 私の家には春ごろ雌鶏(めんどり)が一羽いましたが病気にでもなったのか、巣にはいって出て来ません。そして人が行くと毛を逆立てて、ゴッゴッと鳴くのです。そのうちにお母さんがどこから聞いてきたか「卵をみんな取ったから怒ったのだ」と言ったので、おじいさんが別な巣をこしらえ、隣から七つ卵を買って来て、家の卵を合わせて、みんなで十二、ふたとおりにならべてだかせました。
すると三週間もたったころ、土間のところからぴよぴよという声が聞えました。弟は「まあ、ここさおいたの」と言いました。それもそのはず。弟たちにはかくしておいたのだそうです。私たちは行って見たくてたまらなかったが、母が「行って見れば親鳥がつついて殺してしまう」と、言うから、次の日まで黙っておきました。
 私は学校からかえると、すぐ行って見ました。ひよこは黄色がかったのや、黒いのや、たくさん親鳥につれられて歩いていました。数えてみると九羽でした。私は母に「あどの卵はどうしたの」と聞くと「残った三つは腐っていだしけ、馬肥(まごえ)に埋(うず)めだや」と言いました。それから三日ばかしたった、ある大雨が降った夜、親鳥はいたちに殺されてしまいました。朝見ると首をぐったり下げからだを横にして背中の羽根を取られて、血が羽根についていました。それでも死ぬまでひよこをかばったのでしょう、ひよこは死んだ親鳥の腹の下にはいって、ぴよぴよと鳴いていました。一二ひきは、親鳥を起こすつもりか、とさかをつついていました。晩に、どんなにか鳴いたのでしょう、あらしの音で、朝までだれも知りませんでした。
 後に残った九羽のひよこも、鳶(とび)にとられ、猫にとられ、今では大きくなっているのは五羽だけです。二羽は雄鶏(おんどり)で、三羽は雌鶏です。今は毎日卵を生みます。生んだ卵はおじいさんと弟が毎日一つずつ食べています。それでも余って、お母さんが卵買いに売ってやります。お母さんは来年の春には、たくさんひよこをかえして、私にも一羽、雌鶏をくれると言っています。



■綴方選評 鈴木三重吉
 高田ミセ子さんの「にわとり」では、親どりが鼬にかみつかれてもにげあがらず、しまいまで、ひなどりを腹の下に、かっばて殺された、その本能的な母性愛には涙ぐましい気がします。一二のひなどりが親鳥を眠っているものと思って起こすつもりでか、しきりに、とさかをつついていたというのも、いかにも哀れです。


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