飲んだくれ
大野小高二   影井 愛

 少し前の話です。私の家では、夕飯を食べてしまって、みんな爐(いろり)を囲んで話をしていると、戸口の方に「御免下(ごめんくだ)さい」という女の声である。母はすぐ障子を開けると、三十二、三の、身なりのあまりよくない女の人で、一人の男の子供をおぶって女の子と男の子をつれて立っています。そして又「お晩でございます」といって礼をしました。女の子供はぶるぶると身体をふるわせています。母は「何の用ですか」と聞きますと、「はい、今ちょっと旦那様(だんなさま)に願うことあって来ました」といいますので、母は父のところに行って話しますと、父は「そうか、したら(そしたら)上がらせれ」といった。女の人は恐る恐る上がって礼をした。
 父(このおとうさんは巡査部長)は「何だ」というと、女は「はい、今、私、これ(この)子供たちど飯食べでいだけ(いたら)、戸をこわして入ってきた人あるしけ見だけ(人がいるので見たら)、お父(とっ)ちゃであったます(ありました)。どごから飲んできたんだがさ(ものか)、酒に酔って、そして上がって来て、わし(を)物もいわず、どんどん踏むもんだ(ふみつけるのです)、それもいたて(それはいいとしても)、何でもぶつけでよごすし(なげつけますし)、いられなぐなって今来たのです。どうがしてください」と、目を拭(ふ)いている。父は「どごから飲んできたのだろう」というと、「どごから飲んで来たんだがさ、知らねど、まるで酔っていました。後からどごの人だが知らねども(知らないけれども)、二人ついで来た人ば、がちがちと叩(たた)いて、本当に見でいられなぐなって来ました」というと、父は「いつもそうして酒飲めばあばれるのか」というと、「はい、いつも飲んでいます。飲まねば気済まねもんだからさ、むったり飲んでいます。癖悪いために(酒癖がわるいために)、飲めば毎晩こうして逃げで、歩かねばなりません。私ばし(わたしだけ)でなぐ、子供たちと一しょに、むったりです」といった。その時、女の子供は「母ちゃ、眠いて」といった。すると女の人は、「したら家さ行って寝なさい」といったら、「したておっかねもの(だってこわいもの)」といって動かない。すると母が私に「これ(この子を)つれて行ってやりなさい」といったので、私はつれて出た。
 ずっときて、丁度(ちょうど)その家の戸口に来たので「今、いだがいないが見でくるから」といって、戸口の硝子のこわれないところから見ると、はっきり見えない。すると女の子供が来て「どれ見せれ」といって、節穴から見ていたが「ああいだいだ」といったので「どれ」といって見ると、横にごろりと寝ているが顔一面にまっ赤に血にそまって、手足もそのとおりなので、びっくりして思わず「ああ」と声を出すと目をさましたのか、歩いてくる音がした。「(もう)、来た」といって、夢中になって女の子供の手をとって逃げ出して或(ある)家のかげに隠れた。すると、どんどんかけて来るようである。私はもうびったり板(壁板)について、だまっていると、丁度その家の前に来たようである。私は女の子を後ろにかくして、そっと首を出して見ると、私のほうに後ろ(背中)を向けて、黙って立っている。私は首をひっこめて黙っていると、家の前を通って、宝町に行ってしまったので、やっと安心して出て来た。ふと気がついて、足を見ると、片方の下駄(げた)がない。びっくりして、あたりを探したがない。又もどって行って、酒飲みの家から提灯(ちょうちん)を持ってきて、下駄をさがした。すると見つかった。いそいではいて家につれて行って「寝なさい」というと、「いらね(いやだ)、おっかねもの」といって、なかなか寝ないので、「したら又私家さいぐべ(私の家に行こう)」といって町に出た。町に出てから一目さんに走った。
 家について、戸をからっと開けて入った。母は「又もどって来たの」といったので「したて寝ないもの」というと、母は「やっぱしおかねと見えで」といった。しばらくたって女の人は「したら酔いさめてから、よく言ってください」といって帰って行った。


■綴方選評 鈴木三重吉
  影井愛さんの「飲んだくれ」も或みじめな人生相のひとつを提示したところに、意味をもっている作です。年級のわりには、表出が少し平面的なうらみがありますが、そのかわり、叙写の態度にちっとも、こましゃくれたところがなく、あくまで純朴な点が快いです。ご亭主のあまりの乱暴さにたえかねて、巡査部長のところへ説諭をたのみに来た、おかみさんの当惑した気持ちもありありと出ていて気の毒ですし、影井さんが眠たがる女の子をつれていって、二人で家の中をのぞくところ、そして、よく見るとおじさんが、よごれて、顔中血だらけにして、転がっているという、そのものすごい光景や影井さんがあわててにげだして、あとで片方の下駄をどこかへおとしてきたのに気づいて探すところなぞ、そのすべてが実写的によくかけています。

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