せみ(推奨)
大野小尋二 中谷 富彦
きのう学校からかえって、ごはんをたべていると、うらの馬ごやのあたりで、せみのなきごえがきこえましたから、ごはんをはやくたべてしまって、「かっちゃ(母ちゃん)、今、せみとってくる」といって、いそいで、はだしになって、足おとをたてないで、ささげ畑のところを通って行きました。
せみは、まだげんきよくないていました。ないているなしの木のところで、あっち見たり、こっち見たりしたら、ちゃんと木のまっか(股)のところにいて、よいこえでないていましたから、しずかに木にのぼって、せみを目がけて手をぱっとやると、せみは「ぎぎぎぎ」となきましたが、おもしろくておもしろくて、ぎっちりせみをにぎって木からぽんととびおりて、「かっちゃ、かっちゃ、せみとった」といって、はしってきて見せると、かつちゃが「よくとった。かごさ入れれ」といいましたから、すぐかごに入れておきました。
足を洗っていると、ねこがかごをにらめつけていましたが、がたがたと音がしたので、すぐ行ってみると、ねこがせみをくわえていました。「このちきしょう、このちきしょう」とぼう(追う)と、ねこがせみをおとしました,すぐとって見たら、あたまがありません。
それをもって、かっちゃのとこさ行って、「せみ、ねこくったや」というと、「そったらもの、なげれ(捨てなさい)」といいました。それをもって来て外におくとあかいありだの、くろいありだのたくさんあつまって、とうとうひっぱって行きました。
大正13年10月号
■綴方選評 鈴木三重吉
二年生の中谷君の「せみ」は、単純な叙写でもって、事象の動きと場面場面の感じとをまざまざと、自然によく描きうかべています。二年生の作品としては本当にうまいものです。同君が蝉の声を狙って、かんかん照っている土の上をはだしでしのびしのび行って、木の上をじろじろさがしたり、蝉を握って、とったとったと大喜びで叫びながら走ってかえったりするありさまや、お母さんが前後に「さあ、かごへお入れ」「そんなものなんかお捨てよ」といわれる言葉の響きや、猫がにらみつけている格好や、中谷君が頭のとれた蝉を拾い上げてくやしそうにしている顔つきや、しまいに蝉の死骸(しがい)を赤蟻(あり)黒蟻が群がって引っ張って行くところなど、すべてが何のたくみもなしに、ことごとく、ありありと目に見えます。特に、蝉をおさえたとき「ぎぎぎぎ」とないたというところなどは、いかにも実感的に活き踊っています。上(うわ)っつらに読み下すと、ただありふれたことをかいた何のへんてつもない作のように軽視されるかもしれませんが、よくかみしめてよむと、あれだけの僅少(きんしょう)な言葉、単素な叙写が、ありのままの実象を遺憾(いかん)なく可愛(かわい)く表出しています。把握がしっかりしているからです。同校の生徒のいつもの作に比して低年級なりに、ひどい地方語がほとんどないところにも注意がみえます。蝉をおさえて木を下りるときに「おもしろくておもしろくて」とあるのは「愉快で愉快でたまらない」という意味の地方的表現でしょう。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。