支那人(しなじん)(推奨)
大野小尋三   田山 みつ


 二、三日前のお昼頃(ごろ)、私とねねときくゑちゃんと、せぼちやん家(ち)の敷板(しきいた)(床板(ゆかいた))へ腰をかけていると口ばし(口元)のぴょんと出た支那人が傘をしょって、がまぐちの入ったかごをさげて「支那言葉、ちゃうせん(朝鮮(ちょうせん))わかる、ちゃうせん言葉、支那わかる、ちゃうせん言葉、日本わからん」と言いながら、のろのろと入って来ました。そして私たちが見ていると「おくさん、がまぐち、買お。かさ、買お」と言いました。せぼちゃん家のがが(お母さん)が「なんぼ(いくら)というと、「やしい(安い)、一本九十銭、まけよ(おまけしてるよ)」と言ったら、せぼちゃん家のががが「たかい。八十銭なら買う」と言った。そしたら支那人が「二本買お。二本一円六十銭にまけよ」と言った。ががが「よし」と言ったら、支那人が「よし、まける」と言って手を十六うちました。「ずんぶ(随分(ずいぶん))手ただぐな」と私が言うと、「十銭一つ、一円六十銭十六」と言って、黒い傘と草色(くさいろ)(もえぎ色)の傘をおろしました。するとががが「そんたら(そんな)もんでなく、草色のばかりよ(草色のだけにせよ)と言うと、支那人が「やすもの、えらまれん」と言うと、ががが「どこにが(そんなことはないだろう)」と言って、草色のを取りました。せぼちゃん家のががが一円六十銭やると、支那人はそれをとって、出て行きました。「おかしな人だね」と言って、私たちがわらうと、支那人は「そのむすめ買お」と言って、もどって来ました。そしてねねのせ中へ手を上げて「このむすめ買お」と言ったら、きくちゃんとねねとせぼちゃん家の奥へにげて行きました。その支那人は笑いながら「むすめ買お」と言って出て行きました。
大正14年1月号


■ことばの意味
【大野小尋三】大野尋常高等小学校尋常科三年で、今の小学校三年生。
【支那】外国人の中国に対する古い呼び名。日本では江戸中期以後、第二次大戦末まで称し、中国大陸そのものの地理的な呼び名でもあった。
【がまぐち】口金のついた小銭入れ。開いた口がガマの口に似ているのでいう。

※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。


■綴方選評 鈴木三重吉
 今度は傑(すぐ)れた作が、わりに少なく、やっと六編だけ選に入れました。最初の三年生の田山さんの「支那人」は、ありのままをらくらくと軽快に写生した、ユーモアに富んだ面白(おもしろ)い作で、三年生としては、本当にうまいものです。支那人がぼそぼそ言い言い這入って来るその発程(はってい)(始まり)から、すぐに人物と事実とがぴちゃぴちゃと躍動して来る点が愉快です。「支那言葉、朝鮮わかる……支那言葉、日本わからぬ」と、ひとりごとを言ってやって来る、その言いぐさからはじまって、支那人の一語一語がいかにも生きうつしに出ており、相手の人々の気分なども、いちいち、言外(げんがい)に、動いています。しまいに「その娘買おう」「この娘買おう」と、小さい子たちをからかいながら出て行くあたりなどは全く痛快なほど、自然のたくみなユーモアを作っています。すべての表出に一寸(いっすん)も無駄がないところを、よく注意して見てほしいです。方言で、「ねね」「せぼちゃん」の意味が分かりません。
※「ねね」は姉、「せぼちゃん」は友達のあだ名でしょうか。


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