支那人(しなじん)の手品(推奨)
大野小高二   池田 いね


 お昼の御飯(ごはん)を食べて、妹と大市場(おおいちば)の前まで来ると、わいわいと人のはしゃぐ声がする。妹は「いねちやん、何だのあれ、すいぶん人騒(さわ)ぐね。何かあるんだか(あるのかも)知らないよ」と言いながら、裏の方へ走って行った。私も妹のあとから走って行ってみると、沢山(たくさん)の人が円(まる)くなって、しきりに、はやしながら見ていた。
 私も、人垣の後ろから、伸び上がったり、妹をだいたりしていたが、妹は「いねちゃん、何も見えねや。あの木の上に上がるからね、いねちゃんも来なさいな」と言いながら、走って丸太の沢山積んである上に上がった。そして「見える見える」と言って喜んでいるので、私も上がろうとしたとき、今まで静かに見ていた見物人が急にわいわい騒いで、「うまいうまい、もう一回何かやってみれ」と大きな声で叫ぶ人もあった。上がってみると、なるほど、すっかり見える。
 年頃三十五、六で、せいの高い支那人(しなじん)で髪をぼうぼうさせ、顔の色は青黒く、白か黒か分からないくらいになった短い上服(うわふく)に、長いだぶだぶのズボンをはき、何かしゃべっているのか、口を動かしていた。そして前にあった大きな袋から赤い鼠のようなものを二つ出すと、二尺(しゃく)ぐらいはなして両方に置き、それを走らせたり、お手玉のように、一つ上げては代(か)わりを取り、代わりを取ってはまた上げている。そのたびに、何か言っては笑わせる。私は何を言っているのだろうと思って、丸太から下りて、人をおしのけ肘(ひじ)の下をくぐって、ようやく前に出た。支那人は「日本手品、支那手品ちがう。らんたん、らんたん」と言って、今度は前の袋からまた小さい袋を出して、その口をあけ、「みなさん、これ何思う。あてるよろしい」と言うと、後ろの方で「鼠だ」と叫んだ。支那人は「それちがう、鼠もうない。これなにかあてない?よろしい、これ蝮(まむし)。日本、蛇(へび)」と言いながら袋の口を開くと、大きい鎌首(かまくび)を上げて火のような舌をペロペロ出した、三尺くらいの蛇がにょろにょろ出て来た。支那人はそれをつかんで、体中に巻きつけ、「これ、蛇、もう少し巻くよろしい」と言いながら、今度はそれを取り、手の平(ひら)にのせて、「かわいい蛇公(へびこう)、今度手品やる。しっかりたのむことある」と言って、水を口いっぱいに入れ、蛇に霧をふきかけて、口の中へだんだんと呑(の)んでいった。はらはらして見ていると、蛇の頭は火のように舌をペロペロ出しながら、鼻から出て来た。支那人は涙をぽろぽろこぼし、片方の鼻から鼻水をたらしている。それでも前にあった盆(ぼん)をとって、「ううっ」とうなりながら、見物人の方に出すと、盆の中に銭(お金)をなげる人が多かった。支那人はそれを財布の中に入れていると、私の横で見ている人が「蛇、口から鼻さ入れて苦しくないでしょうか」と話していると、聞こえたとみえて、「これ商(しょう)ばい(仕事)、苦しいことない」と言いながら、その袋を背負(しょ)って海岸町(函館市)の方へ行った。
 私は蛇を口から鼻へ出した支那人が、涙をぽろぽろ出しているのを思い出すと、帰っても御飯を食べる勇気がなかった。
昭和2年7月号


■ことばの意味
【支那人】中国人。支那は外国人の中国に対する古い呼び名。日本では江戸中期以後、第二次大戦末まで称した。
【大市場】当時、函館市の十字街付近にあった公設市場か。
【二尺】尺は尺貫(しゃっかん)法の長さの単位。一尺は約三十・三センチ。
【蝮】クサリヘビ科の毒蛇。日本やアジア全域に分布し、灰褐色(はいかっしょく)に銭形の斑紋(はんもん)がある。頭部が三角形で、敵が近づくと毒牙を立てて飛びかかる。


※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。


■綴方選評 鈴木三重吉
 池田さんの「支那人の手品」は、すべてをはきはきとよく写した写実的な秀作です。口から蛇をのんで、涙や水ばなをたらしながら鼻から出して、お金をもらい、「これ商ばい、苦しいことない」と、平気で袋をしょっていくところなどは、支那人の風貌(ふうぼう)がいかにもよく出ていて、いたましくも滑稽(こっけい)です。

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