死人(推奨)
大野小尋五 吉田 孫七
このことは、この間お婆(ばあ)さんから聞いたし、私(わたし)も少しはおぽえていたことです。或(ある)日の晩方(ばんかた)(夕方)、中田の信(のぶ)が、裏へ「母(がが)、飯(まま)(ご飯)だあ」と言って行きましたら、いつでも「おう」と返事をする母の声がきこえないで、橋の上に草鞋(わらじ)と鎌があって、誰もいなかったそうです。信は母が少し前から、おかしくなって(気が変になって)いたのを聞いていたから、びっくりして家(うち)にとんで来て、このことを教えたので、中田の人がみんなでさわいで出て探したそうです。
丁度(ちょうど)その時、橋から二町(ちょう)ばかり下(しも)の米田(こめた)(水田)で、雑倉(ぞうぐら)をたてるので、みんなで川ぶちに風呂(ふろ)を立てて(沸かして)かわるがわる入っていると、上(かみ)の方で、チャポン、ヂャボヂャボと音がして、何だか川の中を流れて来たが、ちょっと人の顔が見えたので、中田の向かいのお父(ど)がびっくりして「あっ、あれや中田の母だ」と言うか言わないうちに、顔がかくれたが、ほかの人々はどやどやと入って、川の中から引き上げ、すぐに家につれて行って、医者に見せましたが、まるで死んだようになっていたそうです。中田のお婆さんは「なして(どうして)こういう体になったば(なったのか)と言って、おいおい泣きました。
それから夜になって、私の家で、夕飯を食べてしまって、中田の話をしながら寝ようとしていたら、中田でまた泣き声が聞こえるので、お婆さんと、おじいさんが行ったら、また母の姿が見えないというのでした。中田の人からきけば、先の病気もかなりなおって、一人でむりに便所へいったのだそうです。そしてしばらくたったら、がたん、という音がしたので、爺さんが走って行って見たら、蝋燭(ろうそく)が今消したばかりになって誰もいません。そこで大さわぎになって、そこら(そこいらの)近所の人が提灯(ちょうちん)をもって川の中を足でさぐったり、たいまつで探したりして歩きました。
そうしているうちに、夜があけました。中田のお父ちゃが、もしや河原へ行ったのではないかと思って、ずっと行くと、一間(けん)もはねて行ったような足あとや、這ったようなあとがあったので、ずんずん行って川上の方を見たが何も見えません。それで下(しも)の方へ行ったら、土橋(どばし)の少し上(かみ)の方の寺の淵(ふち)で、爪(つめ)でかいて丘へ上がろうとしたあとがあって、少し下の方に行くと、はたして死んでいました。ひじの皮がむかれて(むけて)、爪の間に土がはさまり、髪がながく、だらりとなって、幽霊(ゆうれい)のようになっていたそうです。それから幽霊が出るという話があり、女などが通れなくなりました。
大正15年5月号
■ことばの意味
【草鞋】わらで編んだ履き物。
【二町】一町は六十間(けん)で約百九メートル。二町は約二百十八メートル。
【雑倉】雑物を入れたり、作業などをする倉庫。
【一間】約一・八二メートル。
【土橋】土をおおいかけた橋。
【淵】川の深くなった所。
※「母(かか)」「飯(まま)」「お父(と)」は、いずれも当時の方言の発音に合わせてふりがなを振っています。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
吉田孫七君の「死人」は、近ごろでの傑作(けっさく)です。材料的にも特別な異彩をもっている上に、はじめからおわりまでのすっかりの叙写(じょしゃ))(順を追った表現)が、さもフィルムでも写し出したように、まざまざといきおどっています。その卓出した活写の手ぎわにはおどろかれます。つまり写象(しゃしょう)(心に浮かんだ客観的内容)に対する把握がしっかりしており、感受がこまかく鋭敏で、表出(ひょうしゅつ)にも、むだとたるみとがちっともないからです。こうしていかし描かれた、あのあわれなきちがいのおかみさんの運命と、その人によって家中や、村の人々の間に投じられた、感情の陰暗(いんあん)(暗さ)と激動とに、人間としての深刻な価を持っているところが貴いのです。
その活写の一例としては、おかみさんが、川にとびこんでぶくくぶく流れて来るところを一人のおじさんが見つけ出して、びっくりして声をたてると一緒に、おかみさんの顔がかくれる、それと言ってみんながどやどやはいって引き上げる、あそこのところの、いきもつかせないあの引きしまった叙写や、それから特にしまいの方で、とび出した狂人をさがしさわぐところで、夜があけはなれたころ、河原へ下りて見ると、砂の上に、一間もある歩幅でとんで走ったような足あとや、はい歩いたようたあとがついていたり、丘へかなぐり(荒々しく)上ろうとして爪で引っかきしたあとがあったりするところや、それから、間もなく見つけ出した死体について「ひじの皮がむけ爪の間に土がはさまり、髪がながくだらりとなって幽霊のようになっていた」という叙出などは、いかにも現場でじかに見るように実感的な印象を刻まれます。まったく、うまいものです。