祖 母(推奨)
大野小高二 北畠 千代
或(ある)朝のこと、祖母(そぼ)が起きないので行ってみると、顔がはれて頬(ほお)が下がって(たるんで)いるので、走って来て父に教えたら、「それは大変だ。早く医者に診てもらわなくては」と言って、医者に来てもらいますと、「はは、今はやりの腎臓(じんぞう)病です。だいぶはれていますな」と言った。父が何を食わしたらよいでしょうかと聞くと、「ええ、おもゆ(重湯)とソップ(スープ)の外は飲ませられませんな」と言って帰りました。次の朝になると病気は次第に重くなっていくばかりで手足までもはれてくるのです。頭も悪くなって、つじつまの合わぬことを言うようになってしまったのです。
或晩(ばん)のことです。椴法華(とどほっけ)村の(郵便)局長さんと大竹さんと来て、いろいろ若い時のことを話して「何年ぶりでしたかね」などと笑って、帰ろうとした時、父が「提灯(ちょうちん)持って来て、千代(ちよ)」と言ったので、座敷(ざしき)にさがしに、廊下(ろうか)まで行ったら、何だか泣き声のような、またうなり声のようなのが聞こえるので、黙(だま)って聞いてると、だんだん高くはっきり聞こえてくるので、走って来て「大変だーお祖母(ばあ)さん、死ぬところだ」と言ったら、皆(みな)走って来た。見るとお祖母さんは本堂の方に向いて、手を合わせて、一生けんめいになって泣いているのです。母が「お祖母さん、何して(どうして)泣いたり、布団ひっぱったり、手合わせたりして泣いているの」と聞くと、「それだって、せっかくおまんま(ご飯)できたから、食べらせようと思って、『千代、食べれ、鬼子夫(きしお)、食べれ』と、何ぼ呼ばったって(いくら呼んでも)、返事もしね。人ば(を)馬鹿にしやがって、ろくな目にあわね。今さら何の罰(ばつ)だか、本当に川でもあったら(入って)死んでしまう気になったけれど、ようやくがまんしていたんだ」と言って泣いている。母が「お祖母さん、あんまり心配すれば死んでしまうよ」と言うと、「それだって何ぼ何だって、あんまり人ば馬鹿にするもんだもの」と、なお泣くので、皆「困ったもんだなあ」と言って帰ってしまった。私はあとに一人残って「お祖母さん泣ぐな。お祖母さん泣けば私も泣かさって(泣けて)くるから、あんまり心配すれば脳悪く〈頭がおかしく)なって死んでしまうよ。死んだら私どうする。お祖母さん死んだら、頼りにする人なくなるんだよ」と慰めたら、ようやく泣きやめて「千代、本当にいい子だ。お祖母さんを面倒見てくれるし、寝ているとどこか悪くねが(ないか)と聞くし、本当にお祖母さん死んだら、命日におまんま上げてくれ」と言って私の手をとり、ぎっちり(強く)握って、涙を手の上にぽたぽたと落とすのでした。
それからずんずん病気は進んでいくばかりです。或晩、夜中に、蚊帳の外にばったりばったりという音がかすかに聞こえるので、頭を上げて見たが、暗くて何も見えない。母をゆり起こして耳に口をあてて、「母(かっ)ちゃ、さっきね、何だかばったりばったりと音するもんだ。泥棒でねが(泥棒じゃないだろうか)」と言うと、母が蚊帳をまくって見ていたいたが、「千代、大変だ。電気をつけれ」と言ったので、電気をつけると、座敷の隅まで、ぱっと明るくなった。見ると祖母は着物を背負(しょ)って前掛(まえかけ)を手にぐりぐりまいて、隅に座っている。母が「お祖母さん、何しているの」と聞くと、「はい、私ね、この頃(ごろ)病気してから立てば、ぱたり、立てばばたりと転ぶのですって」と言うと、母が笑いながら「お祖母さん、そんなにいい言葉使わなくてもいいから、まず床(とこ)さ入って寝(な)さい」と言うと、「はいはい、ずい分ひどい奥さんですね。隣まで遊びに行ってこようと思うのに、本当にひどい」と言いながら、床に入って寝ました。
次の日、行ってみると、顔のはれがひけていたが、だんだん治ってきて、今では自分の食べるものなどを自分でこしらえて食べております。私が「お祖母さん、もうろくいったの(おかしくなったの)覚えている?」と聞くと、「何も知らない」と言うので、泣いた時のありさまを教えると、笑いながら「本当にそんなこと言ってあったべか(言っただろうか〉」と言いました.
昭和二年四月号
■ことばの意味
【本堂】お寺の本尊を安置している部屋。北畠家はお寺。
【蚊帳】蚊や害虫を防ぐため、四隅をつって寝床を覆う寝具。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
北畠千代さんの「祖母」は深刻味のある作である。千代さんが「おばあさんが泣くと、私も泣かされてくる」と慰めるところや、おばあさんが死んだあとのことを頼み、手を握って涙をこぼすあたりでは、だれでもほろりとなってくるであろう。おばあさんが夜中に出かけようとしたり、お母さんに皮肉を言ったりする一種の狂態には、老年の人に通じた孤独感がにじみ出ていて哀れである。病気が治って、食べ物を自分でこしらえて食べているところにも、年寄りの性格が出ていて悲哀である。