(賞)
大野小高一  新栄 とよ


 いつかの冬のことであった。私はまだ小さい時であったから、はっきり分からないが、家(うち)の兄さんが友達と三人で遊んでいた時、橇(そり)が来たので、二人の友達は、兄さんのしらないうちに、家の小さな橇を持って行って、その走って来る橇に付いたら、馬追(うまおい)に怒られて、驚きのあまり、そのまま馬追の橇に付けてやったのを、家の兄さんが見て、その橇を持って行かれると大変だから走って行ってとろうとした。すると馬追は、兄さんが付いたのかと思ったのであろう。いきなり兄さんの目の少し下の方を、あの鋭い手綱でたたいたので、痛いから逃げたら、運悪くも川の中に落ちて、着物はどっぷり汚し下駄は流れた。下駄はよその人が取ってくれたが、兄さんはおいおいと泣いて来たので、母達は兄さんからその事を聞き、さっそく馬追を家に連れて来たら、馬追いはあやまろうともしないで、庭にぼっかりとして立ってあった。
 それから家の父や上の兄さんと馬追と三人で大声を立てて争ってあったが、馬追がきかないので、上の兄さんが大変怒って、「そうぐずぐずしているだら、分署にあべ(行こう)と、ひっぱるようにして連れて行こうとしたら、今度は馬追もおっかなくなったと見えて「分署に行くことは許してくれ」とか、色々なことを言って、何度も手をついてあやまったので、許してやったが、外には人は黒山に集まって見てあった。けがした兄さんは泣き泣きご飯を食べながら「まま食えば目のどこ痛くてくわれねあ」と言うのであった。
 その後、私はその馬追を二、三度見た。見る度にのこの人が家の兄さんをけがさせた人だ、にくらしい人だな、兄さんの代わりに妹が、かたき取ってやりたいなあ、ああにくらしい人だと思うと、心の中でもう飛びかかって行きたくなるようであった。
 友達の兄さんは、いらない(しなくともよい)けがした。何、兄さんでも付けたんであるまいし、兄さんが橇を取りに行ったばかりで痛い思いをしたと思うと、友達をにくくてしようがなかった。また、いくら付いたって子供のことだもの、そんなに怒らなくてもいいと思う。こんな人はどんな恐ろしい心を持っているであろう。私はちいさいながらも兄さんが可哀(かわい)そうでならなかった。今でもその人をふむくってけたい気がする。

大正11年8月号に掲載


■綴方選評 鈴木三重吉
 北海道の大野小学校からは、いろいろと傑(すぐ)れた作がきました。新栄さんの「橇」を入賞にしました。ありのままをよく書き上げています。とかく年級の上の人は下等な表現にかぶれたり、こましゃくれた書き方をします。殊(こと)に女の人には歯のうくような表現をすろ人が多いのですが、「橇」はどこまでもうぶうぶしていて、一寸(ちょっと)もいやみがありません。事実をよくつかんでいる上に言葉によけいな飾りがないので、すべとがはっきりと目に浮かびます。馬追たちが憎くてたまらないところなどは、しまりの足りない書き方ですが、その代わり子供らしい、女の子らしい感情がまざまざと出ています。


■ことばの意味
【大野小高一】大野尋常高等小学校一年。当時は尋常科が六年、高等科が二年で、年齢的には今の中学一年くらいです。
【馬追】客や荷物を馬車や馬そりで運ぶ人で、この時代は馬が車の代わりに活躍しました。
【橇に付く】馬追の馬そりに子供たちが自分のそりを引っかけて滑る遊びで、当時はよく行われていたようです。
【分署】当時の大野の警察署。
【ふむくってけたい】「ふむくる」は「つねる」「むしり取る」の方言ですが、この場合は「ひきちぎってやりたい」という解釈が自然です。

※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。


 作品集ページに戻る