食パン(北海道教育史掲載)
大野小尋六 金川 重雄
僕(ぼく)が丁度(ちょうど)三年生の時で、それははんだんきゃう(はたんきょう)のたくさんなった年の七日盆)の日であった。
もう十三日にも近いので、母さんと二人で墓の草取りに行って来た。帰って来ると、姉(ねえ)さんたちと同級生の横山さんが、「金川さんの母(かあ)ちゃん、はんだんきゃうを少し分けてくれられないんでしょうか」と言った。母は「今なくなるところだが、まだ少しあるから、後(あと)から重雄(しげお)さ持たせてやります」と言ったら、横山さんは帰った。母は手かごを持って、畑に行ってもどって来た。そして「重雄、これなあ横山さんさ持って行って来い。戻りに(帰る時に)、ぜんこ(お金)よこしたら、これ、もうしまいで少ししかないから、くれる、と言って来い」と言った。僕は「うん」と言って、手かごを持って家(うち)を出て、途中考えた。今、横山さんに行って、はんだんきゃうの銭(ぜに)十銭(せん)だと言ってもらって来て、何か買って食べよう、と思いきめてしまいました。
ふと気がついて見ると、そこは横山さんの家の前であった。「ごめん下(くだ)さい。はんだんきゃう持って来ました」と言うと、奥から出て来たので、手かごのままやりました。すると「いくらあげればよいの」と言ったから「十銭」と言いました。そして手かごと十銭を持って来た。そして途中で食ぱんを十銭買って、店を出ようとすると、丁度姉さんが局(郵便局)からの帰りで、僕の方をぎろっと見た。僕は今買った食ぱんを後ろにかくした。すると姉さんが来て「それ誰(だれ)のだ」と聞いた。僕はだまっていた。また「それ買ったぜんこ、どこから出した」と聞いたが、だまっていたら「家さ行っておしえてくれる(言いつける)からなあ」と言って、家の方へ行った。僕は、おっかなくてぱんを食べても味けもなく、のどにつっかかって(つかえて)食べられない。
それから小笠原の井戸のところで食べていると「重雄、来い」と書った。僕はしぶしぶ家へ行った。すると母は「んな(おまえ)、それ、どこから出したば(出したんだ)」と言って、今半分ばかり食べかけたぱんを指さして聞いた。僕はだまっていたら、母は何も言わずに僕をビタンとたたいた。
僕は泣きながら、今までのことを話してから「こんだから(今度から)、そんなことしないから許してけれ(くれ)」と言ったら、母は「十銭や二十銭の銭(ぜに)、おしがるではないども(惜しいわけではないけれど)、そんな悪いくせがついて、大きくなってからも、こうならないようにするのだ」と言って、それから許した。僕は毎年の七日盆には、いつもそのことを思い出すのです。
大正15年1月号
■ことばの意味
【はたんきょう】スモモの一品種。実は大きく先がとがる。熟すと表皮が赤くなり、甘い。
【七日盆】函館を除く道南の盆は陰暦で行う旧盆のため八月七日をいう。盆行事の初日で、この日に墓掃除などをする。
【十三日にも近い】盆が近いこと。盆は七月十五日を中心に祖先の冥福(めいふく)祈る仏事で、江戸時代からは十三日から十六日にかけて行われる。大野の盆は陰暦で行うため八月十五日前後に行い、十三日に墓参りをする。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。
■綴方選評 鈴木三重吉
六年の金川君の「食ばん』は、ともかく事実を渋滞なく(とどこおりなく)、すらすらと書いています。姉さんに突っ込まれ、帰って母さんに叱られるので、こわくてパンが咽(のど)につかえて食べられない。それでもうっちゃる(投げ捨てる)のも惜しくて、よその井戸のそばに立って、むりやりに押し込むところなども滑稽(こっけい)です。「七日盆」というのは、七月十五日の盆以外の行事でしょうか。私たちは初めて聞く地方語です。「十三日にも近いので」は、金川さんの村では、盆の十五日でなく、十三日にお墓参りをするのでしょうか。