寺まいり(賞)
大野小尋二   木村 れつ


 この間、私とみつとばばと三人で寺まいりに行きました。もんのところまで行くと、せっきょうのこえがするから「ばば、おくれたよ」と言うと、「おくれてもいいや」と言ったので、私がみつをおぶってさっさと行ったら、ばばが「れつ、まっておれ、げだどごさおくものだが、わがらねえして(わからないから)いっしょに行くべし(行きましょう)」と言ったので、いっしょに行くと、はいり口にせんべだのたんきりあめだのを売っている店がありました。
 そこへげたをあずかって、寺へ入ると、じさまだの、ばさまだの、いっぱいいてせっきょうを聞いていました。寺のおじいさんが、何がかなしいのだか、ござに、ぽろぽろ、なみだをたらして泣いていました。私はおかしくて、そのおじいさんのかおばかり見て、せっきょうを聞かないで、おじいさんの泣くのばかり見ていました。せっきょうがすんでからぜん(お膳(ぜん)料理_)が出ました。赤いまま(赤飯)だの油げ(油揚げ)だの、いろいろなものをたべて、かえりにさとうせんべとたんきりあめを買ってかえりました。
大正13年7月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 入選の木村れつさんの「寺まいり」は二年生としては本当にうまいものです。低年級の人にありがちな、だらだらしたところや、散漫さが一寸(ちょっと)もなく、よく引き締めて書いています。いちいちの推移の焦点をちゃんとつかんでいるので簡単な叙写ながらに非常に印象つよく出ています。木村さんが小さなおみつさんをおって、どんどん入って行くのをおばあさんが、下駄(げた)の置き場がわからないからと言って一緒に行くあたりや、聴聞(ちょうもん)しているどこかのおじいさんが、ぽろぽろ涙をたらして泣いている光景なぞは全く目に見るようです。木村さんが、まだそういうおじいさんたちの感情の動きがわからないために、泣くのをおかしがって、顔ばかり見ている気持ちや態度なぞも、無邪気(むじゃき)に生動しています。赤い御飯や油揚げなぞをにこにこしてよばれて来た光景もまざまざと目に浮かびます。いろいろの情味のよく出ている、把握のしっかりしたいい作品です。


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