私のおもい(推奨)
大野小高二   斎藤 きえ


 私の妹や弟たちが、何かことを起こして泣いたりすると、家(うち)のお祖母(ばあ)さんが、「またきえ(が)泣かせだべ(たんだろう)」と怒るのです。朝、学校に行く途中、雪が降って、妹や弟がころんだり、馬の足穴(あしあな)(足跡でできた穴)に足を落として靴の中に雪が入って泣いたりしてると、私が手袋を貸してやったり、マントの雪をはらってくれたり(あげたり〉、靴の中の雪を取ってくれたりして、ようようのことで学校につくのですが、学校も終わって、家に帰って来てから、妹や弟の話を聞いていると、「きえちゃんがねぇ、ばっちゃん、朝に学校さ(へ)行く時、おらばっかし(私のことばかり)怒って、マントの雪、なも(なにも)落としてけねもんだ(くれないんだ)」と言っていた。私はその時、あッと思いましたが、奥へ行って、学校道具をおろして、今度、台所に出るのが何だかきまりが悪いような、おっかないような気がして、行きたくないので、しばらくたってから、台所に、そこそこ(こっそり)と来て(火に)あたっていると、お祖母さんが「きえ、なして(どうして)、わらさどば(子供たちを)、そたらにそたらに(そんなに)おごてばし歩くんだ(おこってばかりいるんだ)。みだぐね(みっともない)。ほかの子供たち、まあ行って見れであ(よその子供たちを見てみなさい)、感心にわらしば(子供の)めんどう見るに(みるのに)、汝(な)ばしだね(おまえだけだよ)」と言ったので、私が「やあ何もだけや(いやなにもだよ〉、そたらにおごて歩がねや(そんなに怒っていないよ)。ころんだりした時、手つめてが(手が冷たいだろう)と思って手袋まで貸してけでもね(貸してあげてもかい)」と言うと、祖母(ばあ)さんが「そでねでいだであ(そうではないと思うよ)。わらし、しゃべていだもの(子供が話していたもの)」と言ったので、私が心の中で、ああ、だまっていだ方が得だ、しゃべるとかえって怒られると思って、下を向いてだまっていました。部屋へ行ったら、そのまま泣き崩れてしまいました。
 それから勉強して、道具をしまってから、外に出てみたら、雪明かりで明るいのに、その上、月が出て明るかった。私が川端(かわばた)の方に行くと、月もいっしょになって、ついて来ました。私は川のほとりに立っていると、いろいろのことが思い出されます。私がこうしているところを、お母さんが覚えて(知って)いて、私を迎えに来たらどうだろう。わたしのはいて行く靴、新しい着物、帯などを持って、顔の色は青く、唇は白く、血のけは少しもなく、手は力なくだらッとして、ふらふらとして可哀(かわい)そうな身なりをして、目の前に立ったように思われた。それでもいいから、私を函館につれて行ってくれ、さもなかったら、二人手を取って、どこかに逃げて行きたい、いつもあの子供たちのために悪く言われるし、どうしたらよかろう、と、ただ一人で思いましたら、ひとりでに涙が前掛(まえかけ)の上へ落ちました。またいろんなことを思って泣いたりしていたけれども、こうしていたってつまらないと思って、唱歌の「青い月夜の浜辺には」というのを歌ってから家に入りました。
大正15年7月号


■ことばの意味
【青い月夜の浜辺には】『浜千鳥(はまちどり)』(鹿島鳴秋(めいしゅう)作詞・弘田龍太郎作曲)の冒頭の歌詞。「親を探して鳴く鳥が波の国から生れでる」と続く。親を捜す子千鳥の寂しさ、悲しさを訴える歌詞は、作詞者・鹿島が孤独な生い立ちを詩にしたといわれる。


※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。方言などわかりにくい表現は、かっこ書きで補足しました。


■綴方選評 鈴木三重吉
 斎藤さんの「私のおもい」は、小さな胸いっぱいに迫った苦痛を、そのまま端的にかいているだけに、いかにも実感がみなぎっていて哀れです。おばあさんが間違ってがみがみ言われるのに対して、きつく抗弁(こうべん)(反論)もせず、ひとりで我慢して陰で泣いているところもいじらしいし、月光の中へ出て、恋しいお母さまを目の前に描き浮かべるところなどは立派な幻想的叙写(じょしや)で、しんからほろりとさせます。しまいの方で、月光の中で涙ながら歌うところは、ただの場合だったら、いやな少女小説の一句のようでキザですが、真実なので少しもイヤミに感じられません。おばあさんに反抗しないでこらえているのは、それだけ家中の騒ぎが少なくなるわけですが、ありもしないつくりごとを並べて、斎藤さんをいじめる妹さんや弟さんに対しては、なぜよく穏やかに言い聞かせないのです。おばあさんの偏愛(へんあい)は老人にありがちで、直すことは困難ですが、小さな妹さんたちがうそをつくのは許されないことです。これでは斎藤さんがつらいばかりでなく、妹さんたちのためにもなりません。斎藤さんが姉(ねえ)さんとして言って聞かせ、その悪い癖をとってしまうように努力しなければうそです。いろいろ事情のあることでしょうが、斎藤さんはあくまで忍耐強く切り抜けていらっしゃい。大きくなられるにつれて、希望も開けていくことと思います。

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