酔っぱらい(推奨)
大野小高二   若松 きよ


 大きな男が二人で私を追って来たと思って目がさめたら、酔っぱらいが家の前で「若松君、若松君」と、父を呼んでいた。黙(だま)って聞いていると、向かいの兄さんと隣の山川のおじさんの声である。また「若松君、若松君」と呼んでも、家(うち)の者は一人も返事をする者がない。私は、やあ入ってきたらどうすべえ(どうしよう)と思っていると、父は「誰(だれ)だべ、夜夜中(よるよなか)、人の家さ、酒まぐらって(酒飲んで)来る者ア」と一人で、こもごもしながら「おい、夜夜中、人の家さ来て、少し小声でしゃべろ」と言いながら戸を開けた。
 するとその人たちは「何、小声でしゃべろって、誰が病人でもいるのなあ」と、入って来た。「こら、高声すれば隣の病人に、やがましして(うるさいから)」と父が言うと、「うん、あのなり子(女の人の名)なあ」と舌をねばらかして、また大きな声で「大工さん、これ飲むべしよ(飲もうよ)、何が食う物ねがあ(ないか)」と言いながら、酒瓶(さかびん)を置いた。父は「俺(おれ)家にだら、何でもあるであ」と言いながら、台鍋(だいなべ)で煮(に)る仕度をしていた。
 二人は上がりかけに腰を掛けて、歌をうたうやら、芝居の真似をするやら、寝ていられないほど騒ぐので、寝ていた母は「だまして家さ連れて行って、置いて来ればいんだもの」と言うか言わないうちに、向かいの兄さんは「お母さん、何しゃべているんでえ。俺ァ、こうして喜んでいるのに、とがめるてなあ」とどなりつけた。母は「何して人の喜んでいるの、とがめるわけでねんだども、病人がやかましいして、少し声低くしゃべれと言ったんだあ」と言うと、一人が「うん、俺に行げってんだな。このがが(母)、これ行げっつんだら(行けというなら)行くど」とじなり(どなり)つけた。
 母は父に「だまして置いて来いてば。いつまでもこうしていても、明日稼ぐに行くに倒れてしまうして(しまうから)」と言うと、父は「おい、おめだっ(おまえたち)。山川の家さ、行がねが」と言った。山川のお父さんは「うん、行ってもいいども(いいけれど)、おら家のばば、いねであ」と言った。すると向かいの兄さんは「いねたていいど、こったらところ(こんなところ)にいるより行くべし行くべし(行こう行こう_)、爺(じい)」と言って立った。そして家のくぐり戸に頭ぶつけたり、便所のさぐり板(羽目板の壁)によつ(寄り)かかったりして行く音がした。
 少したって父が帰って来た。「あの馬鹿(ばか)どにかって_(馬鹿どものせいで)、ただ(かってに)寝でしまって、これから寝だてなんぼも(いくらも)眠られねなあ」と時計を見上げていた.それから後、なにも知らず、私は眠ってしまった。
大正13年11月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 若松さんの「酔っぱらい」は、写実的にすぐれたものです。若松さんのお家は飲食店で、それを二人の酔っぱらいがどんどん叩(たた)きおこして、また飲みつづけようとしたのです。若松さんは何のたくみも用いずに、酔っぱらい二人は勿論(もちろん)、それをあしらわれるお父さんや、お母さんの言動、表情までをも、まざまぎと劇的に写し動かしています。わからない方言は「酒まぐらって」「なり子」(これは子供の久前か)、「こったらところ」「さごり板」など。それから「あの馬鹿どにかってただ寝でしまって」も、私たちにはさっぱり意味がわかりません。

【注】
飲食店は、三重吉の勘襟いで、大工さんです。この場合「でーく」と発音すると、より臨場感がまします。文面から、三人は平素からの飲み友達で、親密な付き合いがあったことがわかります。(町史編さん室)


■ことばの意味
【夜夜中】夜中を強めて言う言い方。夜ふけ。
【台鍋】テーブルや食卓の上で、コンロや七輪(しちりん)で調理する鍋。
【上がりかけ】土間と段差のある居間のへり。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。

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