(賞)
大野小高二   西谷 菊江


 ある日、私が学校を六時間で帰って火にあたっていると、叔父(おじ)さんに「お客さんが来るから酒を買ってこい」といわれました。私はもう薄暗くなったから行きたくないが、行きたくないといえば、酒きげんでいるから叱(しか)られると思って、戸棚(とだな)から一升瓶(しょうびん)を持ってくると、電気がぱっとついた。
 一円五十銭(せん)持ったままで町に出かけて行って、ようやく酒屋に着いた。そして一円ののを一升買ってきたが、七町(ちょう)のところだから長い。後ろを見ても前を見ても誰(だれ)も来ない。左も右も田圃(たんぼ)で、遠くの方にただ電気の光ばかり見える。暗くなり、しだいにさびしくなる。もう二、三町行くと家だと思って、一生懸命歩くと、途中でかちんと瓶(ひん)にあたって落ちた物がある。はっと思って手を見ると銭(ぜに)がない。びっくりして、そこらを見たが、たった十銭しか落ちていなかった。落としていくと叱られるから、また一生懸命でただしていた(確かめていた)が、暗くて見えないから、右手で瓶を引きずり左手に手袋をはいて、黒い物があったり丸い物があったりすると、銭ではないかと思って、かきまわしたりしていると、また十銭あった。
 少し面白くなって一間(けん)ばかり行くと、こんどは二十銭落ちてあった。もう十銭位だから帰ろうかと思ったが、叔父さんがおっかないので、さがしていると町の方から人が来た。見ると向いの林のお父さんであった。私が下を見てたずねて(探して)いたのを見て「何おとしたの」と聞かれたので、「ぜんこ」というと「見えるもんか行くべい」といったが、私が行かないでまたたずね出すと、また人が来たので、聞かれるのがいやで、拾うのをやめて立っていた。それは私の家に行くお客さんだったが、私を知らないで(わからないで)行ってしまった。
 少したずねたが、家で待っていると困ると思って帰りかけると、家の方から人が来た。きがついて見るとそれは母でした。いきなり「きくえ、汝(な)(おまえ)またぜんこ落としたべ。なんのじゃまして持って来たば(どんなふうにして持って来たんだ)、この間抜(まぬ)け。これあ何ぼ落としてもこりないで、何ぼ落としたてな」といわれたので、「十銭」というと少し軟(やわ)らかな声で、「十銭ばし(ばかり)落としたって、こたらねかがるてな(こんなに時間がかかるのか)。汝さ銭持だせれば落とすし魂(たましい)抜けでいだべね。今に死ぬべね」といわれたので、悲しくなってあつい涙がほろほろと落ちた。
 帰ってから叔父さんに叱られるかと思ったら、「今度から気付けて歩け」と思うよりやさしくいわれたので安心した。次の朝早く拾おうと思って、起きて外を見ると、雪がよほど積もってあったので拾われなかった。
大正13年7月号


■綴方選評 鈴木三重吉
 西谷さんの「銭」は、どこまでも淳素(じゅんそ)(素朴)な態度で飾り気なく、よく写しています。落とした銭を拾うところ以下、お母さまに叱られるところまでの、西谷さんの心理、動作、人々との接触など、すべてがありありと躍動しています。銭を落としてがっかりしていると、そのうちに二十銭までも拾い上げたので「少し面白くなって」また探し続ける、その気持ちの推移だの、また人に聞かれるから、わざとさもないふりをして立っているところなどは、子供らしい感情がよくでていて微笑(ほほえ)まされます。お母さまの言われた言葉の中で「なんのじゃまして持って来たば」というのや「こたらねかがるてな」というのはどういう意味でしょう。


■ことばの意味
【七町】一町は六十間で、約百九メートル。七町は約七百六十メートル。
【一間】約一・八メートル。
【ぜんこ】銭、お金のこと。
※漢字や仮名遣いは現代風に改めています。

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