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3月11日震災当日、大洗港と仙台港に停泊していて大地震に見舞われ、間一髪で離岸した「SFふらの」と「きたかみ」船長の記事が、本日の北海道新聞夕刊に掲載されていたので紹介します。
間一髪で避難 苫小牧発着フェリー 「使命感」胸に物流担う 東日本大震災から2カ月たった5月11日。震災当日、間一髪で被災を免れた大型フェリー「さんふらわあふらの」(1万3539トン)は、苫小牧西港で出航の準備をしていた。坂上幹郎船長(54)は「あの日の光景は、頭に焼き付いている」と言った。 ――― 帰港断念 ――― 3月11日。「ふらの」は午後2時すぎ、苫小牧から茨城・大洗港に着いた。旅客を下ろしたところで、大地震に襲われた。けた違いに長い揺れ。港の岸壁がひび割れた。 坂上船長は避難を即断。荷揚げを中断し、船内清掃中の作業員を下ろす間もなく船を出した。 直後に再び激しい揺れが来た。「船がしゃくれるように揺れた。着岸したままなら、多分やられていた」 周囲には、同じように港外へ逃げる無数の漁船が見えた。接触を避けるため、汽笛を鳴らし続けた。その音が付近の住民に危険を知らせ、避難を促したと後で感謝された。 大洗港は津波で港湾施設が全面浸水。大きな渦が巻いているニュース映像を見て乗組員は言葉をなくした。帰港をあきらめて北上。翌日夜に苫小牧に入った。 着の身着のまま北海道まで来た大洗の清掃作業員たちに、フェリー会社が防寒服を用意した。 同じ震災当日、宮城・仙台港には苫小牧発着のフェリー「きたかみ」(1万3937トン)がいた。夜の出航を待っている時に地震が起き、空荷のまま港外へ避難。6キロほど沖で大津波に遭遇した。 そそり立つ波は高さ10メートル以上。1万トンを超える大きな船でも恐怖を感じた。「波にのぼって、ドーンと落ちた」と川尻稔船長(43)。数分後にも3波続けて大波が来た。正面から突っこみ、かろうじて乗り切った。 ――― 闘志わく ――― 苫小牧と本州各地を結ぶ太平洋航路のフェリーは震災で全面的に運休。物流にも大きな影響が出た。 フェリーを利用している札幌の運送会社「アスカ運輸」の鶴嶋浩二社長(47)も拠点にしている大洗港のニュース映像を見て、思わず大声を上げた。 「渦の向こうに、うちの車がだんごになって重なっていた」 大洗港に置いていたトレーラーや荷台が被災。1台2千万円以上する冷凍装置付きの荷台が10台もやられた。それでも、被災地の惨状を知るにつけ、「自分たちはまだ幸せ」と闘志がわいた。「人間って、再生能力があるなあと思った」 太平洋航路のフェリーは3月下旬から貨物の運搬を順次再開。大洗港は港内に砂がたまって復旧は6月になる見通しだが、大洗便は代替の東京港に貨物のみを運んでいる。 新たな悩みが原発事故に伴う放射性物質の海への流出。「ふらの」も福島沖では通常より30キロ沖を通る。通風を止め、放射線量も測っているが、坂上船長の不安は消えない。 「何とか早く流出を止めてもらいたい。それしかないです」 ――― 喜び実感 ――― 仙台便は大洗便に先がけ、大型連休から旅客運航を再開した。一般の旅客は例年の半分ほどだが、東北の惨状を目にしてきた「きたかみ」の川尻船長は普通に運航できることに喜びを感じている。 「震災で日常の大切さを思い知らされた。定期的に走ることが、物流を担うわれわれの使命ですから」 アスカ運輸の鶴嶋社へ長は当面、仮設住宅関連の輸送を優先して請け負うつもりでいる。 「公共性を考えたら、それが最優先かなと思う」。被災地に日常が戻る一助になれば。そう願いつつ、それぞれの場所で、人や物を運ぶ仕事が続く。 (編集委員 森川潔) ― 5月16日北海道新聞夕刊 ― ちなみに、「SFふらの」の船長は、元九越フェリーの船長です。
震災による災害派遣車両輸送に伴い、青森港へ寄港した「さんふらわあ ふらの」。
青森港からの出港風景です。 http://www.youtube.com/user/bluedolphin717#p/a/u/0/axecHIZXzh0 |