岸壁も当時のランプウエイの部分と旅客タラップ部分の、かさ上げは撤去されていますが。
太平洋側はつながっていますが、やはりこれからの危機回避や台風など年間を考えていくと、日本海側も博多ー山陰(近畿)ー北陸ー北海道は海の道は必要性があると思いますね。
東日本大震災の時も、本当に思いました。
九州ー山陰ー近畿ー北陸(東北)北海道は実は関東や中京、関西もすべてフォローできるんですからね。
画像付け忘れていました。
箱崎埠頭の着岸バースです。
九越フェリーはこの場所から始まり、その後、中央ふ頭に移転しましたが、建物は当時のままのようですね。建物は変わらなくとも、当時の看板等がなくなり、かつてここがフェリーターミナルだったとは、まったく感じられませんね。
ふねきちさんと初めてお会いしたのもこの埠頭でしたね。懐かしいです。
「日本海縦貫航路」
東日本フェリーは旧べるらぶの売船でつまずきました。
後を受けたリベラはなっちゃんの失敗、さらにリーマンショックの波をかぶって青函以外から撤退。
決して不採算だった訳ではないはず。
しらかば、あざれあ級の大型船を使って、境港、金沢、新潟、秋田等をゆっくり結ぶ。これならコマツの重量級車両でも、境港接続のDBSフェリー貨物でも、何でも来い!です。
まさに「平成の北前船」の復活。
従来のフェリーの発想を変えれば、私も復活の余地はアリと見ています。
あとはどこの船社が名乗りを上げるか、です。
irukaさん、こんにちは!
とても懐かしいですよね。
中央ふ頭の建物はすでに撤去さえたのですが、箱崎埠頭側いわゆる発祥の地のターミナルは用途を変えていますが残っています。
わくわくして乗船したことを今でも覚えています。
節税大王様
お久しぶりでございます(覚えていますか?笑)
採算路線に乗る前に終わってしまったというか、リベラにて2本立てにて住み分けしようとしたときにいろいろと重なってしまいましたね。
当時のクルーズ航路(寄港地)のパシフイックエクスプレス(フェニックスだったかな?)の入札に負けてから色々と。
フェリー2隻の交換も、改造をかなりしないといけないとなったので・・・調査をしっかりしていればSFみとの方が船齢は重ねていましたが可能性はあったかも。
貨物車両も秋口は満船は通例でしたから、ポテンシャルは十分ありました。
初期の豪華船2隻の売却に躓いたのが最後まで響きました。
ニュー姉妹にせずに、初期船を継続していた方が今思うと新たな投資にならなくて延命していたかも・・・。
燃費を下げるためには速度を落としたりの対策は必要だったかもしれませんが。
今でも私は期待しています。