今回お世話になる船は、旅客船兼自動車渡船「ニューれいんぼう
べる」(11,410GT)。・・・・以降「Nべる」と略す。
[JRTT(独立行政法人・鉄道建設 運輸施設整備支援機構)と東洋汽船鰍ェ所有。東日本シップマネージメント鰍ェ傭船して、リベラ東日本フェリー鰍ェ運航中。]
モニタークルーズ募集を見たときは即時に参加を決めたが、台風来襲のジンクスがある二百十日(9/1)頃だったので気象だけを懸念していた。
事実、8月下旬ウィーク諸島で発生したスーパーハリケーンは子午線を越え巨大台風12号(イオケ)となって日本に向かっていたのである。
さて、出発の9/2日は朝から天候も良好で心配は杞憂だった。
私は瀬戸大橋線から川崎造船坂出工場で引き渡された大阪ガスの新造LNG船(ドリームLNG)等を見ながら境港へ向かった。
岡山からは津山〜因美〜山陰〜境港線経由で非電化区間を辿る予定、岡山駅は大工事中真っ盛りで来岡する度に変化があって面白い、キハ48急行「つやま」を見送りながら津山行き946Dを待つ、やって来たのはロングシート改造のキハ40−3005・・・「なんじゃ?これで津山まで乗るかいなゲッ!」18きっぷキーパーが目立つから鳥取あたりまで同じメンバーで移動となった。
津山から680Dキハ120−337で智頭まで因美線を行く、途中の美作滝尾及び河井はいい雰囲気で何度通っても気持ちいい。
天候は益々好転して快晴になった。
智頭から636D智頭急行車両(HOT3506+3507)で鳥取まで乗車、これも久しぶりである。
鳥取からは3429Dキハ126(15+1015ユニット)快速「とっとりライナー」で米子へ、さすが強馬力エンジン軽量新型気動車とあって素晴らしい加速で良く走る、ワンマン運転なので後部車両(キハ126-1015)は主要駅(倉吉・伯耆大山)以外はドアーの開閉もなく静かで、難燃木材を使用した車内は癒しを感じる造りで乗車するには申し分ない、米子1550定刻着!。
さて、リベラからの乗船案内書には2000集合で受付と書かれてあったが、このまま行くと境港には1700頃には到着してしまい時間を持て余すことになるから米子で時間潰しを考えたが、境港に停泊する船を撮影したいので接続の1661D(キハ121−5)に乗る。
途中、後藤工場で解体待ちの色褪せたキハ181(国鉄色)などを見ながら境港線を辿る、嘗ては山陰の花形だった特急気動車もいよいよ終焉である。
米子空港に近い大篠津まで予定通り順調に進んだが、ここで列車が発車しないので変だ?と思っていると輸送指令から無線が入った「境港〜馬場崎町で沿線火災が発生、安全確認のため運転抑止中、対向列車も15分程度遅れる見込みなので当駅で待つ様にとの事!」(ラッキー!ちょいと下車する)
大篠津と言えば、むかし伯備線電化で振り子の381系が投入され181系気動車と置き換わったが食堂車キサシ180は新たな転属先もなく全車廃車となったが解体までの一時疎開でこの駅の側線にズラリと留置されてた頃の場景を思い出しながら駅周辺を散策!。
駅舎の瓦屋根の紋章が「JR」になってるのは発見だった。(こんなの初めて見た。)
対向列車の前方標識灯が見え始めたので列車に戻る、やって来たのは妖怪ネコ車両(キハ40−2094)だったからネコへの愛着も含めてGET!して境港へ(添付@)
乗船案内には終点の境港で下車してタクシー10分と記載されていたが、船が着岸している昭和南埠頭は手前の馬場崎町が最も近そうだったが、撮影を考えて2つ手前の上道(添付A)で下車する。
夕方とあって今日の仕事を終え一風呂浴びて夕涼みをする住人が見受けられる民家の軒先を歩いて海を目指すこと15分で漁港に出た。
沢山の漁船が停泊しているなか、夕陽に照らし出された「Nべる」は一際大きく映える(添付B)。
夕陽の「Nべる」撮影した後は薄暮まで小一時間あるので昭和南埠頭周辺を散策とする。ちょうど、「Nべる」の前で釣り人がいたので話しかけてみた。
結構話し好きの方で、私が試験運航のこの船に乗って室蘭に行くことを告げると「きのう着岸してた北朝鮮の船が一斉に居なくなったから何かあると思った」境港では殆どの白身魚が釣れることや、「今は岩牡蠣が旬で今日は400枚ほど獲れた、家の者だけでは食べきれないから近所にも配るが、あんたも喰って行けや!」等と気さくなお父さんだった。
そうこうしてるうちに夕暮れ時となりバルブ開始、ただデジカメ特有のノイズが入り今ひとつである(ケミカル持ってきたら良かったなと後悔しても後の祭り)。
上空には偶然にも、境港らしいお魚雲が発生してたのにはご愛嬌!(添付C)。
乗船案内書に記載された受付時間(2030〜)までは90分近くあるが受付の仮設テントには人影がチラホラ見えるので19時過ぎに船に向かう。
昭和南埠頭は外航船も共用する岸壁なので当然SOLASの対象で立入りには許可証などが必要で守衛ゲートからの入埠となる。
ここは、北朝鮮の船舶が日々入出港しているので特に警備が他に増して厳重である。
私がゲートに近づくと即座に守衛室から制服のガードマン2人がやって来た、乗船の旨を告げると乗船者名簿をあり名前を告げるとすんなり通してくれた。
守衛と言えばギスギスした感じを受けるが、今日の守衛さんの「お気をつけていってらしゃいませ!」の一言に心も和む。(添付D)
カンテラが灯った物産販売(20世紀梨だった)兼用の仮設テントで受付を済し、乗船パスポート(境港→室蘭・航海中の食事券/添付E)と今回の北上コースのスケジュールを書いた旅のしおり、i境港市からの記念品を貰って「Nべる」ギャングウェーから乗船する。
「こんばんは!、ようこそいらっしゃいませ!」と挨拶されると気持ちよい、これから2日間のネグラとなる部屋は船首側に位置した2等寝台(L×W=195×85cm)は4人部屋で共用の簡易リビングもあり、他社の1等比較しても十分対抗できる設備である。(部屋も前方が見れて船ファンには最高!/添付F)
清潔にベットメイキングされた寝台には浴衣・洗面用具・紙コップと入浴用タオルが置かれていた、ことタオルは「Nべる」固有の船名入りで本船のイラストが描かれていた(南下コースは「Nらぶ」タオルかな?)。あと、使い捨てのスリッパ(これはJRトワイライトEXPの様なロゴ入りではなく、ただの無地。)
私としては、「船名入りイラストタオル」は関西汽船の「くいーんふらわあ2/くるしま7」以来のことで感激した。
これは、船内販売限定として商品化すれば良いと考える。(値段=今回の品質のもので¥200程度)
指定されたベットに旅荷を解くと、さっそく船内探索(本船は初乗船)して公室設備などの概要を掴む!。
本船の場合、カジュアルをキーポイントに建造されてるため旅客設備は船のセンターより前よりに集中されている。
利用して気づいたのだが、レストラン(レインボーホール)基点として船首展望サロンと暴露甲板への出入り口が隣接しているから、食後は即座に展望サロン又はデッキへ移動でき大変使いやすい配置だと実感した。
さて、今回の試験寄港のメインは「境港〜金沢」での需要を模索すことなので船客もこの区間が最多の118名の乗船が予定されているため、夕食も2回制で尚且つ船首サロンも団体用として割り振られていた。
あと、新聞(北海道新聞/山陰新報)と雑誌・記者、船社と富士通総研(アンケート解析を行なうコンサルタント会社)のスタッフの陣容!
団体が到着する前に夕食を取った方が良いですよと、陸上から応援のI氏(宮崎カーフェリー勤務のK君とそっくりで、一瞬ビックリ!)から勧められたので食事とする。
テーブルに案内され、着席するときは椅子を引いてくれたから客船並みのサービスだなと感激する。
1日目の夕食は、新鮮な「鹿刺し」と「ジャンボえびフライ」及び「エビグラタン」の内容で夕食としては十分で満足した(添付G/御飯のお代わりOK!)
あと、食後のコーヒーはセルフだがご自由にどうぞとの事、20時半ごろに団体客が到着してレストランもザワザワし出したから展望風呂に入浴とする。
21時過ぎに風呂上りの涼みがてらデッキに出ると、港のそよ風が心地よい。
出港まで少し時間があるので下船して岸壁の風景でも撮影しようかと思ったが、既に仮設テントは畳まれてギャングウェーやサイドランプも収納されて出港スタンバイ状態だった。
照明も落とされた岸壁からの見送りは境港市と港湾関係者のみ寂しさだったが試験寄港だからこんなものでしょう。
今宵の船客は圧倒的に年配者が多いが、週末休暇を利用したと見られる家族連れもいて、お子さんが興味深そうに船内を見て廻っていた。
私は、カーフェリーの利用促進については「現役世代のファミリー層」や「これからの人を対象」とした内容の商品開発を進めるべきだと考える。
さて、出港儀式終えあとは寝るだけかと思ってると、22時からブリッジ見学のアナウンス!。
ただし、今晩は乗船客が多いから30人のグループに分けて(ベットNoで区分け)4回制とするよし、夜間ブリッジ見学は初めてなので当然の如く参加する(昨晩も夜中に博多湾で実施したらしい)、レーダー画面が一層美しく輝き見学者の注目となっていた。
私は、右舷ウィングから煌々と輝く月光がベタ凪の海面に反射して光る海と遠ざかる境港の灯りを見つめながら、船旅の素晴しさを実感していた。(添付I)
(ただ、本船はコスト重視の設計のためファンネル照明が無いのが残念だ。)
さて、ミッドナイトを過ぎたので寝るとしよう、今宵の同室者は2人で共に金沢まで(長野県から来た方と、もう一人は不明だが船好き!)、直江津まで乗りたいが到着時刻には家に帰る列車が無いので已む無く金沢下船らしい、至極残念がってた。
|