木村文助の生涯
 1882年(明治15年)秋田県落合村に生まれる。20歳で秋田師範学校卒業し、教員生活に入り下川沿村川口小学校訓導(今の教頭のような立場)なる。その後三校を経て、29歳で小学校訓導兼校長となる。
 綴り方教育に専念すると共に村の青少年を対象に冬期間夜学を開設する。
 1917年(大正6年)箱館師範学校和田喜八郎校長(秋田県出身)の招きで渡道、翌年大野尋常高等小学校訓導兼校長(36歳)となる。同年児童月刊雑誌「赤い鳥」(主宰鈴木三重吉)が発行され、綴り方を自らも率先指導し投稿する。毎号のように入選し、北海道の赤い鳥学校とまでいわれ、鈴木と親交を深める。
 1926年(大正15年)大野青年訓練所主事兼任、村づくりに貢献する。
 1927年(昭和2)その入選作などと論文も入れて文集「綴方生活 村の子供」を東京から刊行する。翌年砂原小学校へ転勤、「漁村職業の全貌」をまとめ名声を高める。在勤中大野小学校を中心とした実践を次々と著す。戸井村日新小学校で当局の干渉により1937年(昭和12年)55歳で退職、森町に住む。
 1941年(昭和16年)札幌昭和中学校で再び教鞭を取る。三年間勤め森町へ戻り1953年(昭和28年)71歳で亡くなる。
木村文助年表 2006年6月文保研発行 (3.7MB)

木村文助の編著書等
「同窓会報」 継続発刊(大野小学校)
「綴方生活 村の子供」(大野小学校)
「村の綴り方」 「村落児童文選」 「悩みの修身」(この三冊は木村好寄贈)
「綴り方生活」 「母の綴り方」(不二男共著)
「農村職業の全貌」(砂原小学校)

つづり方引用
「彼女の履歴」 林芙美子著(釜沢みつ)
「北海道教育史」 北海道教育委員会編(金川重雄)
「続々ほっかいどう百年物語」 中西出版(田島たき)

その他
「新大野町史」(赤い鳥入選者一覧)
「砂原町史」(木村文助業績) STVラジオ放送、NHK大阪テレビ局来訪
北斗市郷土資料館「赤い鳥 木村文助」コーナー
  • 「赤い鳥」(復刻版) 195冊
  • 「赤い鳥」童謡 9冊
  • 「綴方生活」(合本復刻版) 15冊
  • 木村文助編著書のコピー本
  • 「鈴木三重吉集」 7冊
  • 「つづり方特選の作品集」 3冊
  • 「北海道の児童の綴り方名作集」(久米道彦)
  • 村の綴り方 木村文助の生涯」(畠山義郎)
  • 「教育広報おおの」及び「北斗市教育広報きらめき」
  • 「北海道生まれの作家」(木村不二男)
  • 写真・大野小学校の児童及び教師
  • 「講演集録」(鈴木恵吾、岡屋昭雄、平中忠信)
  • 「木村文助研究」通信(文保研)
  • 森町図書館目録
木村文助ゆかりの地
■勤務
大野尋常小学校(大野村西上町10番地)現:北斗市大野小学校(北斗市本町200番地)
1928年(昭和3年)新校舎は、木村文助の構想も盛られ完成した。現在の校舎はそれから三代目である。
■居宅
学校に隣接したが現在なく、説明版が建つのみである。
■常設展示
1980年(昭和55年)大野町公民館を転用し郷土資料室にした。2000年(平成12年)「赤い鳥・木村文助」コーナーを設けた。郷土資料室は現在、北斗市郷土資料館。
木村文助に関する大野文化財保護研究会の活動
1981年(昭和56年) 大野町民文化祭で初めて綴り方数点を展示する。以後、資料収集に努める。
1997年(平成9年) 文化講演会「赤い鳥と生活綴り方文集・村の子供」(荒木恵吾)
1999年(平成11年) 「赤い鳥」復刻版195冊を寄付金により購入。旧大野町教育委員会へ寄贈する。展示会開催。
2000年(平成12年) 「木村文助研究」通信発行開始。
2002年(平成14年) 文化講演会「木村文助の人となりと綴り方教育」(岡屋昭雄)
2007年(平成19年) 「『村の子供』発刊80年・木村文助没後55年」記念事業(展示会、講演会、森町図書館見学・木村家墓参)
同年 文化講演会「木村文助先生の綴り方指導」(平中忠信)
2011年(平成23年2月)合唱劇「村に咲く花」協賛展示会『木村文助の業績』開催